つくづく自分は臆病者で根性なしだと思うのは、スポーツの中継で一方に深い思い入れがある場合、その中継をきちんと見ていられないことです。特に応援するチームや個人のいないマラソン中継だとか相撲だとかだったら落ち着いて見ていられるのですが、オリンピックのように否が応にも日本に肩入れするしかない場合には、しばしば実況を見ていること自体から逃げ出してしまうのです。
今回のリオデジャネイロは地球の裏側で時差が12時間もあり、競技は日本時間の深夜に行われるケースがほとんどですが、あいにく私は超早起きで4時半というと活動を始めていて、ちょうどそのあたりが競技の佳境ということも珍しくないのです。
朝起きてテレビをつける、すると一番危うい場面をやっている――例えば男子の体操の始まりだとか、柔道の準決勝あたりだとか。昨日はテレビをつけた段階で内村航平選手は負けており、柔道のベイカー茉秋は準決勝を勝ち抜いたところ(ということは一昨日まではテレビをつけるたびに3位決定戦の話をやっていたということです)。それでも柔道の決勝なら負けても銀ですが、体操の方は大きなミスを繰り返すとどこまで落ちるか分からないので見る勇気がわかず、内村選手の優勝も結局ニュース速報で知ることになりました。
こんな蚤の心臓ですから、よくぞ二人の子どもはオリンピック選手にならずに済んでくれたと心から感謝する次第です(余計な心配)。
さて、その内村選手ですが、メダリスト会見で外国人記者から、「あなたは審判に好かれているんじゃないですか?」といった意地悪な質問がなされたようです。内村選手は適当に、しかし丁寧に答えたようですが、この質問にかみついたのが銀メダルのベルニャエフ選手です。
「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」と言い放った。
(内村2連覇 垣間見えた頂点を争った2人の友情 ベルニャエフ「無駄な質問だ」)
実は最終種目に至るまでベルニャエフ選手は内村選手に1点近い差をつけたトップで、鉄棒14.900以上出せば金メダルといったところにいたのです。オリンピック選手として14.900はそれほど難しい点数ではなく、ベルニャエフ選手の演技は素人目にはミスの少ないものでした(私はビビッて見てないけれど)。ですから彼の点数が14.800どまりで内村選手の金メダルが決まった直後から、ネット上では「点数低すぎネ?」とか「素直に喜べんな」とかいった書き込みが少なくなかったのです(その後専門家からきちんとした説明が出た)。
それだけに外国人記者の「エコヒイキではないか」といった質問はある程度一般人の気持ちを反映したものともいえるのですが、それにしてもベルニャエフ選手の態度は潔かった――。
明らかな誤審や誰が見てもおかしな判定については当然抗議すべきですが、評価が分かれるような場面では黙って引き下がるのが正しい対応だと私は信じます。それが私の美学です。しかし損得勘定でも答えは同じでしょう。
不機嫌になって猛然と抗議したところで点数なんてひっくりかえらないのです。もちろん次に試合に向けて審判にある程度の圧力をかけておく必要があるといった作戦なら別ですが、普通はこんなところで好感度を下げても何のメリットもありません。それよりも将来に向けて心証を良くしておく方があらゆる面で特です。
体操男子総合の表彰台は三人が三人とも清々しい表情で、とても気持ちの良いものでした。
(私は学級担任だったころ、毎日こういう話を朝の会に持っていくのが楽しみでした。子どもたちが爽やか時間帯に、いい話をいっぱい聞かせてあげようといつも思っていたのです。それが、現在、毎日ブログを書く習慣に繋がっています)
ところで、柔道の表彰台の方は毎回悲喜こもごもで見ごたえがあります。
昨日の女子70kg級では銅メダルの二人が本当にうれしそうで、金銀の二人はとても落ち着いていたように思いました。
男子90kg級では銀メダルの選手が終始うつむいたまま殆ど顔を上げなかったのが印象的でした。
その辺の事情については柔ちゃん谷亮子さんが「金と銅は勝ってもらうメダル。けれど銀は負けてもらうメダルなのでほんとうに苦しい」といったことを話しておられました。ただし日本人の銅メダリストはほとんどがうれしそうな顔をしていませんから、さまざまな感情があるのでしょう。そんなことを考えながら表彰式を見るのもまた一興です。