カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「きちんとしないことの効能」〜閑話休題①

 ちょっと気になることがあって、連載めいて書いているいじめ問題から2日ほど離れます。
 まずは無関係な話から。

 高校時代、通学路の途中に小さな書店があって面白そうな本ばかりが置いてあるのでしょっちゅう出入りしていました。しかし当時から、なぜそのちっぽけな書店の生き残っているのかわかりませんでした。客の出入りがほとんどないのです。のちにその書店のお嬢さんに学校の同僚として出会うのですが、高校生だったころの素朴な質問をすると、こんなふうに答えてくれました。
「商店街には分相応に暮らしていると生きていける仕組みがあるのです。お互いに支えあっていく仕組みで、それを裏切りさえしなければなんとか暮らしていける。だから目の前に大きな仕事があってもなかなか手が出せない、大儲けできるかもしれないと思ってもあきらめる、そうやって生きていくのです」
 私は商売とまったく関係ない世界で生まれ育ちましたから本当は理解できていないのかもしれませんが、何となくわかる気もしました。
 別の知り合いのガラス屋さんは、年がら年中お店で高価なガラス細工に囲まれて暇そうにしています。彼が生活できていく上にもそうした秘密があるのかもしれません。

 建設業界で談合が問題になったとき、知り合いの一人はこんなふうにボヤきました。
「あれはな、社会の安全弁みたいなものだ。談合組合みたいなやつってのは互いに倒産しないように仕事を回しあう仕組みだから競争にはならない。だからシノギを削るように建設費を安くするというわけにはいかない。しかしいい仕事をする。ボッタクリみたいな仕事をしたり手を抜いたりすれば、それは仕事を回してくれた人の顔をつぶすことになるから絶対にしない。万が一そんなことをすれば二度と仕事を回してもらえないからな。だから談合の結果、請け負うことのできた仕事は絶対にいいものにする。それを止めてしまうというのだから世も末さ」

 もう四半世紀も前のことですが、地方公務員である弟の職場で「ヤミ給与」が問題となり、「払うべきは払う、払うべきでない給与は取り上げる」というやり方で整理をしたことがあります。おかげで弟の給与は2割近く増えました。「ヤミ給与」とというのは実は大きな「ヤミ減俸」を補うための小さな「臨時手当」だったのです。

 教員についても、「働いても、働かなくてももらえる」として悪名高い教職調整手当をやめ、きちんと残業手当・休日出勤手当を出そうという話が持ち上がりましたが、計算したら必要な予算が5090億円にも上ることがわかりました。現在の調整手当は総額1800億円ほどです。きちんと行うととんでもない予算オーバーになるというので調整手当の廃止は見送られました。

 人間は放っておくと必ず悪いことをするというのは、神を裏切ったアダムとイブの末裔であるヨーロッパ人の文化であって日本にはなじみません。日本人は放っておけばむしろ悪いことをしないのです。もちろん全員が全員そうだというわけではないので何らかの決まりや規制は必要ですが、がんじがらめにして常に監視するようなことは失礼ですしコストの無駄です。こういうことで欧米のまねをしてはいけないのです。

 何の話をしているのかというと、旭化成建材のくい打ちデータ改ざん問題です。あれがどうしてもわからないのです。

(この稿、続く)