カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私があほなのかもしれませんが」〜閑話休題②

 フォルクス・ワーゲンの排ガス不正に興味があります。律儀で厳格で時には杓子定規だと言われるドイツ人が、なぜこんなことに陥ったのか、調べてみたい気持ちがあるのです。しかし日本国内ではネットを使っても十分な情報は集まらないと思うのであきらめています。

 私は日本人を信じているので、基本的に悪いことはしないと思っています。みんな誠実に自分の責務を果たし、自らを捨てて全体のために尽くす、そういう民族だと思っているのです。太平洋戦争だって、個人のレベルで全員が精一杯やったのであんなことになった、もう少しいい加減な人や卑怯者がいたら破滅的な段階までは進まなかったのではないかと思ったりもします。今の日本社会はそうした基本的信頼を基にして反映してきたと、そう信じて疑いません。

 もちろん「世の中に悪い人はいない、みんな誠実に自己の責務を果たす」と信じているために、思わず落ちる落とし穴とううのもあります。
 小保方晴子という無邪気でノー天気な小悪魔が、自分の発見した現象がイマイチ鮮やかに見えないのを苦にしてES細胞という隠し味を振りかけた(と、私は考えています)、しかし彼女の周辺では誰もそんなことを想像しなかったのです。日本人を信じていたからです。これまで生きてきた中で、一度も強盗に会わずスリにも会わず、詐欺師にもボッタクリのも会わなかった人間(そんな人はこの国にいくらでもいます)として、そんな不正が脳裏に寄りることは全くなかったのです。
 佐村河内事件もそうです。あそこまですごいウソをつける人間がこの国にいるはずはないと大部分の人が思い込んでいます。だからまんまと騙されるのです。
 もう30年も前の話ですが、銀行員の女性が男に騙されて億単位の金を引き出して渡すという事件がありました。このとき男は「自分は国際スパイだ」とか名乗って、しばしば二人で東京中を逃げ回り隠れまわったそうです。そこまでやられるとかえって気が付きません。
 しかし通常の社会生活の中で、日本人がいい加減だったりウソをついたり、手を抜いたりということはそうはない、私はそう思っています。

 そうした人間の目から見ると、旭化成建材のくい打ちデータ改ざん事件というのはほんとうによく分かりません。
“識者”の中には、建設業界にはいくらでもある話、承知で手を抜いたといった発言もありますが、これほど地震の多い国であれほど地盤の弱いところに巨大な建物を建てようというのです。何百人もがかかわる工事で(くい打ち自体は十数人か?)全員が合意の上で手を抜くなんてことが果たしてできるのか、それが疑問なのです。
 建築関係者だったら1964年に起った新潟地震で公営アパートが何棟も横倒しに倒れた写真を見たことがあるはずです。あんなことが自分の会社の建てた建物で起こったら、企業は簡単に潰れてしまいます。潰れるのが個人営業だったらいいのですが、旭化成建材だけでも3万人の従業員です。それだけの従業員とその家族を危険にさらしてまでやらなければならない不正だとは、どうしても思えないのです。

 さらに、その後全国に広まった改ざん問題となるともっとわかりません。
 なぜ「60本のうち3本(新篠津村養護学校)」「90本のうち2本(紋別市の道営住宅)」「22本中の2本(前記とは異なる北海道の公営住宅)」しか改ざんがなかったのか。「90本中2本」が同一データということは一方は正しいのですからごまかされたのはたった1本です。「60本のうち3本」でも不正データは2本ということになります。
 たった1〜2本ならごまかさずにきちんとやればよかったのにと感じるのは私一人ではないでしょう。なぜ、こんな中途半端なことをしたのか。

(この稿、もう1回続けます)