カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「調整手当の話」~世間からは”働かなくても貰える闇給与”と思われている、実は”闇減給”

 特に忙しいという訳ではありませんがちょっと根を詰めてやらなければならない仕事があり、昨日は一日の大半を学校で過ごしました。
 その間4人の若い先生方が入れ代わり立ち代わり登校して、部活や「卒業生を送る会」の仕事やらをされておられます。私はめったに休日の学校へはきませんが、おそらくいつ来ても同じ光景が見られるはずです。
 10年前も20年前も、私自身が若かった時も、そして100年前も同じです。休日であってもなくても、いつもこんなふうに誰かが仕事をしている、それが学校というものです。

 しかしそんな、“学校にとって当たり前のこと”も、世間の人には理解されません。
 土日も出ていかなければならないほどの仕事が恒常的にあるということ、それに対する対価(残業手当や休日勤務手当)が一切ないということ、それらは社会の常識に反するからです。まさに学校の常識は社会の非常識、みたいな話です。
 私たちの世界にも民間人を配偶者に持つ人は少なくありませんが、夫婦でいつも問題になるのがそのことだと聞きます。休日でも家事や子育てを押し付けられるのでかなわないからです。

 さて、しかし実は教員にも時間外労働手当に相当するものがないわけではありません。

 教員の場合、「職務を遂行するための教材研究の時間や夜の家庭訪問、街頭指導などは本人の自覚や創造性に負うところが多く、勤務時間かどうか区別することが適当ではない」との考えから時数に応じた「時間外労働手当」は支給されませんが、その代わり給料月額の4%相当を全員に支給することが法律で定められているのです。それが「教職調整手当」です(平均給与35万円で計算すると一ヶ月14000円ほど)。

 しかしこの調整手当、何しろ昭和41年に当時の平均的な残業時間である月8時間を基礎に決めたものですから、現在のように月35時間(平成18年平均)も時間外労働をする時代になると全く合いません。時給に換算すると昭和41年に1750円だったものが今や時給400円だからです。高校生のバイトよりはるかに安い・・・。

 こうなると調整手当はもう「一律に4%(8時間分)やるから残業手当は我慢しろ」といった性質の、一種の「ヤミ減俸」です。

 ところが同じものを世の中の人が見ると、まったく仕事をしなくてももらえる「ヤミ給与」みたいに見えるらしく、時々思い出されたかのように問題にされます。きちんと計算して残業手当として支払え、ということです。

 そうした両者(「ヤミ減俸」と考える側と「ヤミ給与」と考える側)の要求にしたがい、数年前、文科省が調整手当の廃止を前提に調査をしたことがあります。
 その結果わかったことは、調整手当を普通の時間外労働手当にしてしまうと、現在の支払額(調整手当)1800億円を3290億円も越え、総額5000億円にもなってしまうことです。そこで文科省はあわてて、今ある1800億円を働きに応じて細かく分け合おうというアイデアを出してきました。
 時間外の仕事を持たない教員などほとんどいませんが、育児や介護のために早く帰らなければならない教員はいくらでもいます。そうした「家で時間外労働をしなければならない教員」の調整額を取り上げ、みんなで分配するという極めてセコイ案です。いい年をした教員が時給400円を奪い合うという実に情けない話ですが、これも法律上の制約でうまく行きませんでした。

 結局、調整手当の廃止は立ち消えになってしまいましたが、私はそれで良かったと思います。
 学校に残業手当が導入されれば、毎日、副校長先生は「早く帰れ」と怒鳴っていなければなりません。仕事も減らさない人も増やさない状況で「早く帰れ」と言われれば仕事はすべて持ち帰りになります。そんなことで職員間がうまく行くはずはありません。

 泣く泣く、今のままで我慢しようと思います。