「江戸の成熟」〜運の強国②

 明治維新の1867年、立役者のうち古老の印象のある岩倉具視でさえ42歳、西郷隆盛が39歳ですからいかにこの革命が子どもっぽい人々によって行われたか想像がつきます。大久保利通37歳、木戸孝允34歳、板垣退助30歳、伊藤博文に至っては26歳です。
 現代の政治家でやたら若い印象のある橋本徹が42歳、小泉進次郎が34歳ですから、あの層が日本のすべてを仕切ったことになります(ちなみに北朝鮮金正恩第一書記が31歳ですから、一歩間違えばああなっていたのかもしれません))。
 しかしそれにもかかわらず日本は国家の体を維持し植民地にもならずに済みました。インドやインドシナ半島、中国などと比べると、まったく異なる時代を迎えるのです。
 その差は何か?
 日本人の民族的優位性だとか国民性だとかいった話は脇に置きます。証明できないからです。
 確かに日本は徳川幕府270年間の鎖国の中で独自の進化を遂げていました。例えば工業は手工業から問屋制家内工業、工場制手工業という現在の工業の一歩手前まで成熟しています。工場制手工業、いわゆるマニュファクチュアは一か所(工場)に職人を集め、そこで分業と協業を行うものです。ここに蒸気機関と機械を入れれば工場制機械工業、つまり今日の工業の基礎ができるのです。
 機械はモノですから移入は簡単です。金さえ用意すれば何とかなります。しかし分業だの協業だのと言った制度は一朝一夕に根付くものではありません。当時の日本に手工業しかなかったとしたらそう簡単に近代工業は始められなかったのです。
 制度と言えば明治になって、南北にこれだけ長い国土の隅々に、新しい制度や考え方が簡単に広まったことにもそれなりの理由がありました。それは参勤交代によって非常に多くの人々がお国言葉と江戸言葉のバイリンガルだったことです。一年おきに江戸と地元を往復するという生活によって言語的統一が常に確認されるとともに、文化的な統一も常に更新されます。江戸に集められた文物がまた地方に拡散するからです。江戸(東京)で何かを言えば全国に通るのです。
 その他、当時の日本が世界有数の銀の産出国で資金に困らなかったこととか国民の教育水準が高かったこととか、現代で言えば“ガラパゴス的”と言ってもいいような独自の進化を遂げていた――それが明治日本の基礎だったことは間違いありません。
 しかしそれにもかかわらず、日本人の優秀さとか国民性とかいった話をするまえに押さえておかなければならないことがあります。
 それはこの国の運の良さです。日本は運の強国だとか言いようのない事情が、当時の日本の周辺にはあったのです。

(この稿、続く)