「教員免許更新制度の行方」①〜恨み骨髄

 ここのところ「自治体によって講師(臨採)率が高すぎる」とか、「その講師が足りない」といったニュースを追っているうちに、「あれ? 教員免許更新制、どうなったんだろう?」と気になり始めました。
 というのはかつて、「あんなもの10年一回りしたらなくなるに決まっているさ」とか話し合ったことがあったからです。平成21年から始まった制度ですので今年で9年目、あと一年、平成30年度が終わるとちょうど一回りとなります。

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【屈辱の更新制】

「10年たったらなくなる」というのは何か目算のあってのことではありません。私たちはこの屈辱的な制度を憎々しく思っていましたから、ついついそんな言い方になったのです。
 だってそうでしょ?
 国家資格で更新制度があるのは運転免許と教員免許くらいなものです。他は一回取得すれば悪いことをしない限り失効ということはない。

 確かに運転は一歩間違えれば走る凶器を振り回しているようなのものですから免許取得時の状況が今も確保されているか、数年に一度ずつ確認する必要があります。視力は衰えていないか運動能力・判断力に問題はないか。

 しかし命に関わるならお年を召して判断が怪しくなったお医者さんも、精神状態が不安定な調理師さんもみんな危険でしょ。フグ調理師なんて指先の狂いひとつで何十人でも殺せます。
 教員は60歳で現場を去りますから衰えが問題になることは多くありません。それに命そのものにもあまり関わらない職業です。

 更に腹が立つのは、それを決めたのが「教育再生会議」。
 一度も誰も、“日本の教育は死んだ”と確認したことはないのに、いつの間にか死んだことになり再生が図られている――。

 言われてみれば確かに日本の「道徳」には中国や韓国のような教科書はなく、学力についてはイギリスのように全国共通評価テストがあったわけでもありません。学力そのものも中国や韓国、台湾や香港・シンガポールといった国や地域の後塵を拝している。
 しかしだからといって道徳性において中国・韓国に引けを取っているとは思いませんし、学力ではPISA評価でイギリスよりははるかに高い成績を残しています。
 もちろん一位ではありませんが、苛烈な受験競争なしに中国や韓国にくらいついているのはなかなか立派なもだと思っていたのです。それなのに、
「日本の教育は死んだ、再生が必要だ、教師の質の低下を食い止めなければいけない、教員免許更新制だ!」
――そう言われて素直になれるはずがありません。

 その上自腹を切って講習を受けろという。3万円〜4万円もかかるのですよ。

 医師も看護師も、弁護士も会計士も税理士も、社会福祉士だって牧師だってそんなことは言われていない(と思う)、それなのに――という訳です。

【教員自身は評価している(?)】

――だけど講習を受けた先生たちに訊けば評判がいい。ときどきそんな形で勉強し直すことも大切だって言ってるよ。
――そりゃあ3万円も4万円も払って30時間もの講習を受けているんだから、終わった直後に「どうだった?」と聞けば、「無駄だった」というはずがない。人間には適応規制というものがあるから金や時間を犠牲にしてダメだと結論付けるのは難しいだろ。もちろんそれに講習自体が悪いはずもない。
 しかしだったらこんなふうに聞いてみればいいのだ。「そんなにいい更新講習なら、来年以降、毎年やるというのはいかがです?」。答えは聞く前から分かっているだろう。
――しかしオマエみたいにガーガー騒いで反対を唱えているヤツもそうはいないだろう。必要なことはやっぱりやるべきじゃないか?
――冗〜〜〜〜談じゃあない! 先生たちはみんな忙しいんだ。忙しくて組合活動もできない、やっても中途半端だから要求貫徹もできなくて結局は組合離れも進んでしまった。
 忙しいからみんな黙っている、それだけだ。更新制度反対を叫んでいる暇があったら教材研究や部活をやっている方がよほどまし、みんなそんなふうに子どものことしか考えない連中で、自分のことは後回しだ。
――オマエは?
――それを言うんか?!このタイミングで!(ボカ! ボカボカボカ!)
――てめーッ体罰教師か!
――違う!! 単なる暴力人間だ!

【10年目の曲がり角】

 どんなことも10年続ければカタチになります。
 教員免許更新制度もまもなく10年目に近づき、来年度が終わるととりあえず全員が一回は更新講習を受けたことになります。そして制度自体に疑問を感じる人はほとんどいなくなっています。特に平成21年以降に教員になった人たちは、それが前提で就職してきましたから何の疑問も持ちません。
 現職教員以外には何のかかわりもない制度ですから、社会的関心も湧かない。

 けれどそれでもなお、この制度は問い直される必要がると私は思うのです。

(この稿、続く)