カイト・カフェ

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「幕末勤王の軽薄な人々」〜運の強国①

 NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」がめっぽう不人気で視聴率も二ケタを割ったとかで話題というか問題になっています。しかしそもそも時代劇自体が不人気なのであって、視聴率を気にするなら民放が「水戸黄門」や「遠山の金さん」を諦めたときに一緒にやめてしまえばよかったのです。大河ドラマの役割は視聴者を喜ばせることではなく、武士や町民・農民の生活や所作を形として伝承する、つまり時代考証を維持することだくらいに思っていないととてもやって行けるものではありません。

 昨日は「花燃ゆ」に続いて放送されていた民放の某料理人ドラマの中で、主人公の見事な包丁さばきに同僚が「はや!」と叫ぶ場面がありましたが、明治の若者が「はや!」とか「おそ!」とか言ったかどうか、私にははなはだ疑問です。
 ただしこれは無料で見せていただいている民放だから許されるのであって、見ると見ないとに関わらずお金を取られるNHKだったら即座にクレームが数百本入るはずです(明治の若者も「はや!」とか「おそ!」とか言っていたかもしれませんが、とにかくひとこと言っておこうという人はいくらでもいます)。確かな情報というのはそうした厳しい目で常に監視していないとすぐに失われてしまうものです。NHKには視聴率を気にせず頑張ってもらい、私たちは何かあればすぐにクレームを入れるという厳しい態度でこの文化伝承のお手伝いをしていきたいものです。
(・・・と、能書きを垂れておいて)

 しかしそれにしても「花燃ゆ」はつまらない。心躍らせて来週も見ようという気にさっぱりならない。うっかりすると番組自体を見過ごしてしまいそうです。
 なぜつまらないか、よくわからないのですが、とにかく登場人物が多すぎて焦点が定まらない。しかも発火性の高い薄っぺらな若者ばかりで、よく考えもせずに次から次へと事件を起こしては次々と変節を重ね、さっぱり深まらないのです。 吉田松陰ですら、「そんな計画でうまく行くはずないだろう」といったことを平気で行おうとし、「オマエ、それだと殺されるよ」と素人でも分かることをやって実際に殺されてしまいます。

 その薄っぺらさは脚本や演出の責任でもあるのですが、同時に実際の人物たちの薄っぺらさのせいであるのかもしれません。なにしろ中核にいる吉田松陰が享年29歳、そのとき久坂玄瑞はわずか18歳、高杉晋作も20歳です。伊藤博文など17歳のガキですから思慮が浅くても仕方ないのかもしれません。明治の元勲には失礼ですが、私はしばしば松下村塾の塾生と1970年代の連合赤軍の若者たちとを、同列に考えることがあります。浅はかです。

 昨日はイギリス公使館へ焼打ちに出かける場面で終わりますが、そもそもそれが必要だったどうかは不明です。動機は「長州藩に攘夷派ありとの狼煙を上げるのだ」とか言っていましたが、事件は被疑者不明で終わっていますから狼煙どころではありません。また実際に、建設中のイギリス公使館に行ったら柵が作ってあって中に入れないというとぼけた事態に陥っています(伊藤博文が自発的にのこぎりを持ってきたので何とかなった)。深慮のかけらもありません。

 しかしそんな彼らが幕府を倒して新政府を樹立し、曲がりなりにも日本を運営することができた、そこにはとんでもない幸運の連鎖があったとしか思えないのです。

(この稿、続く)