「日本教の伝道師たち」〜賢い教育消費者の話⑧

 文化は高い方から低い方に流れます。これは鉄則です。しかし部分的には逆流もします。日本について言えば「クール・ジャパン」で総称されるものがそれです。しかも文化は単独では出て行きません。たとえば“和食”が海外に出ていく時、外国の人々が触れるのは食べ物とその技術だけではなく、食材そのものや食材に対する想い、料理の思想もついていきます。
 食べ物は食材のレベルから安全で栄養価があるとともに、見た目も美しくなければならないということ、ネギやダイコンがまっすぐである必要があるのか、形の悪いものが廃棄される現状をどう考えるのかといった問題提起はありますが、見た目を問題とする思想が独自のものであることは間違いありません。
 箸を手前において「私」と「自然」の境界を示し、あちら側に向かって「いただきます」というのは単なる儀式ではありません。そこには食を提供してくれた自然や人々に対する畏敬があり、“命”を食すことの畏怖があります。
 食を飾る様式や箸使いをはじめとするさまざまなルールには、道元が「典座教訓」で示したような深い思想的背景があり、それらが「和食」とともに世界に広がり人々の生活に影響を与えます。

 同じように、学園もののマンガが日本の教育を輸出します。
 学校清掃は児童・生徒に清掃業を肩代わりさせる支出削減策ではありません。ものに感謝し、ものに礼を尽くす道徳教育の一部です。部活動や社会見学の様子はあるべき学校教育の姿が世界に示します。日本式の制服を導入することは、意識の統一、帰属本能の充足、あるいはもっと単純に義務教育の経費削減という意味で特に新興国に利益をもたらすかもしれません。
 ノビ太はジャイアンに追いかけられながらゴミ箱を倒してしまいます。しかし程なく逃げながら戻ってきてゴミ箱を立て直します。追いかけてきたジャイアンはノビ太が拾い損ねたゴミ箱の蓋を拾ってかぶせ、そのままノビ太を追い続けます。そうした場面から、誰かが何かを学びます。

 先日、日本の観光力が世界第9位に躍り出たというニュースが飛び込んできました。この先、外国人観光客がさらに増加し、日本の“おもてなし”に慣れると人々はいつか自国のサービス業に飽き足らず変革を求めるようになるはずです。
 つまり「クール・ジャパン」で総称される日本の文化は、それ自体が日本の社会規範(=日本教)の伝道師なのです。

 4年前の2月15日、私はこのブログに「日本のピークはこれからかもしれない」という記事を書きました。この表題は私のオリジナルではなく、そのときたまたま手にしていた文芸春秋3月号(そのときの最新号)にあった松任谷由実の言葉です。
 それから一か月もたたないうちに東日本大震災が起り、日本と日本を取り巻く状況は一変しました。そして天才ユーミンの予言が、ほんとうに当たったのかもしれないと思われる事態が目の前に広がってきたのです。
 世界がアメリカン・スタンダードのグローバリズムに席巻されようとしている今、密かに“日本式”スタンダードが世界に広がろうとしています。
 市場規範に疲れた人々が、日本の社会規範を取り入れていく――それが私の現在の夢なのです。

(この稿、次回最終)