「日本はどうなっていくのだろう」②

  私が物事を考える基礎にしていることの一つは、「人間は弱い」ということです。日本人は非常に高潔な民族ですがそれでもほかの人々と同様に、“弱い”のです。環境保護とか温暖化防止とか、世界平和とか人権擁護だとか、そうした高邁な思想のためにいくらでも努力しますが、だからと言って命まで投げ出す人はそうはいません。東日本大震災のような不幸に際してたくさんの寄付を行いボランティアにも出かけますが、私財を投げ打つ人も職を捨てて駆けつける人もそうは多くはいないのです。

 反原発は正義ですが、その正義のために自分の会社がつぶれてもいいと思う人も多くありません。テレビ局も、再稼働には絶対反対ですが電力需要のピークになる午後の時間帯の放送を止めてまでも節電に協力しようとはしません(オイルショックの時はやったのに)。新聞も夕刊の発行を諦めて午後の輪転機を動かさないということをしません。
 福井県おおい町を初めとする原発立地の人々が、「安全に配慮しながら」と言いながらも再稼働に前向きなことも責められません。何しろ生活がかかっているのですから。皆「できる限り」での協力なのですが、それでいいのです。“人間は弱い”のですから、特別の勇者しかできないことを求めてはいけないのです。

 私について言うと、まだ就職していない子どもが二人もいますので、電力不足や電気料金の値上げ、企業の海外逃避などによって日本の産業の競争力が弱まり、超氷河期と言われるような就職難が再び訪れるのではないかと恐れています。私の教え子が(本校の子どもたちが)、将来職もなく流浪の民となることを考えると、心穏やかではありません。

 一朝大規模な原発事故となればたくさんの人が死ぬかもしれませんが、就職ができなくて死ぬ若者だって2011年には4年前の2.5倍、91人もいたのです。わが身ばかりが可愛い小市民と言われてもかまいませんが、不確かな原発事故より確実な就職難の方が怖いのです。企業が倒産するとなれば、すでに就職した昔の教え子の命だって心配になります。

 私は原発推進派ではないつもりですが、反原発の人々、特に政治家やマスメディアが原発のない未来にどういう日本を思い描いているのか、そこが見えてこない限り唯々諾々と脱原発という正義の波に乗ることはできません。ほんとうにこの国はそういう方向に進んでしまうのか、かなりまじめに心配しています。

 さて、日本の教育はこの先どうなっていくのだろうと、その話をしようと思っていたのにまたうまくいきません。明日こそきちんとその話をしたいと思います。

(この稿、続く)