カイト・カフェ

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「壺中の天での自己判断」~情報を閉じ込めておいて、その中での判断を迫る

 モデルナ・ワクチンの異物混入問題が深刻だ。
 しかしそれを訴えながら、メディアは接種を思い留まるようには言わない。
 非常に危険だがあとは自己判断で――。
 いったい何のための警鐘なのか。 

という話。 

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(写真:フォトAC)
 
 

 【やはりワクチンを打ったのは間違いだったのか?】

 テレビのワイドショーではこのところ、モデルナ・ワクチンの異物混入問題が繰り返し報じられています。同じロッド番号のワクチンを接種した30歳代の男性が二人亡くなったとか、女性のひとりは体調不良で入院せざるを得なかったといった話です。
 私は新型コロナ感染終息の決め手はワクチンだと思っていますし、自分自身がもう2回も打ってしまっているので“やはりワクチンは危険だ”という話は気分がよくないのです。しかしチャンネルをどう変えても、この話はかなりしつこく扱われている――。

 しかもそれでいて「ワクチン接種はやはり見合わせるべきでしょう」という話はマスメディアからは出て来ません。品質管理を徹底するためにも接種のスピードを落とすべきだという話もない。新型コロナワクチンは世界でもう何十億回も打たれているというのに、海外での異物混入がどうなっているのか、その点について調べたという報告もなければ、うがった見方をすれば保管庫の電源を抜くように呼びかけた反ワクチン派のひとたちが意図的に入れたものかもしれないのに、そうした危惧への言及もない。
 そのうえで「危険はこの通りものすごくある、しかしそれにもかかわらず打つなら、自己判断で打ちましょう」というのは、人々の不安を煽って視聴率を上げようとする不安商法かと疑いたくもなろうというものです(「ないところに人の悪意を探すな」と言ったのは私自身ですが)。

 いずれにしろ、こんな気持ちの悪い話を繰り返しされたあとで接種に行く人は気の毒ですし、接種はしばらく見合わせようという人が増えるのは致し方ないでしょう。そうなる社会を望んでいる人たちもいます。

 一昨日からお話している、
「助かる見込みのない高齢者よりも、“助かるはず”の若い重症者・中等症者を優先的に入院させるべきだ」
という話も同じです。メディアはそうした雰囲気を漂わせるだけで決して確定的に主張するわけではありません。方向を強く示しながら、「あとは自己判断」と投げ出すのです。別な言い方をすれば、「示唆したわけではない、事実を示しただけだ」ということですが、この「自己判断」というもの実は、かなり曲者なのです。
 
 

【壺中の天での自己判断】

 学校ではよく「子ども自身が決めることが大事だ」という言い方をします。「他人から強制されたものではなく、自分で決めた」ということが強い動機付けになるからです。
 しかし何の準備もせず、すべての決定権を年端も行かない子どもたちに渡すとたいへんなことになります。例えばいじめ問題を下準備なしに話し合いに任せれば、あっという間に被害者をみんなで叩く人民裁判になりかねないのです。「校則について話し合い、決めなさい」と突き放せば、強い者の意見だけで学校が決められてしまいます。

 そのために教師は「子どもたちが自主的に正しい道を選んだ」という擬制をつくろうと、たくさんの仕掛けや工夫を施します。それが授業です。授業の終わりは予見不能であってはいけませんし、どう転んでもいいというものでもありません。

 同じ方法を、メディアは大人相手にしばしば使います。そしてしばしば私たちは、簡単に乗ってしまいます。
 例えばゆとり教育の始まりの時、「円周率が3になる」といった学習塾の中吊り広告にまんまと乗せられたような例です。塾は「だから学習塾に子どもを入れましょう」と言ったわけでもありません。だから「ゆとり教育はダメだ」と結論したわけでもないのですが、人々は子どもの学習を本気で考え始め、一部の人々は「反ゆとり」大きく舵を切りました。
 子どもを塾に行かせる決心をしたのも、ゆとり教育に不信感を持ったのも、すべて広告を見た人の自己判断・自己決定ですから、信念は揺るがないのです。
 
 

【そして何も決まらないまま、すべてが過ぎ去る】

 さて、それでは今後、「異物混入による接種控え」や「高齢者を後回しにしての重症患者の治療」という問題は今後どうなっていくのでしょう?
 
 予測は簡単です。1億2600万人もの人口を乗せた日本という大船は簡単には舵が切れないのです。あれこれマスコミをにぎわせ、ネットで侃々諤々の議論と喧々囂々たる非難の応酬をしているうちにワクチン接種が進み、第5波が終焉して、何のためにあんな大騒ぎをしたのか分からないまま次の局面へ進むのです。
 昨年当初の「マスクに予防効果はない、いやある」論も「もっとPCR検査をすべきだ、いや必要ない」論も、秋に大量に出ていた「ワクチンは危険だ、しかし打った方がいい、すべては自己責任だ」論も、みな時間切れで終わった話です。

 その結果、誰か儲かった人がいたかというと、やはりいたのだと私は思っています。