カイト・カフェ

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「教師はサービス業か」~まずノーと答えよう

「教師はサービス業か」と聞かれたら迷わずノーと言わねばなりません。百歩譲って「農林水産業でも鉱工業でもない」という意味では「サービス業」かもしれませんが、それ以上ではありません。なぜならサービス業とは「サービスを提供することによって対価を得る職業」だからで、私たちは児童生徒からも保護者からも相応の対価を受けているわけではありません。学校で1年間に使う費用を児童生徒数で割って保護者に請求したら、とても払える金額ではないからです。

 憲法の規定からも学校教育、少なくとも義務教育はサービス業にあたりません。
第二十六条  2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 世の中に、受けることを強制されるサービス業などあるはずがないでしょう。強制はサービスと対立する概念です。

 さらに教育基本法には次のような一文もあります。
(教育の目的) 第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
 典型的なサービス業である飲食業に当てはめれば、行きたくもないラーメン屋に連れて行かれ店主が勝手に決めた「ラーメン・チャーハン」を食べさせられるようなものです。
「音楽だけたっぷりやりたい」「体育はボールゲームだけがいい」といったニーズに全く応える気のないサービス業など、あるはずがないのです。

 しかし現代の論客である内田樹によれば、そうであるにもかかわらず児童生徒・保護者たちは学校をサービス業とみなし、消費行動をとるようになったと言います。
 賢明な消費者の取るべき基本的な態度は「限りなく少ない支出で最大のサービスを受ける」ということです。学校教育に当てはめれば「限りなく少ない努力で最大の利益を得る(例えば成績を上げる)」ということになります。どう考えても無理なことですが、消費行動に慣れた現代人は無意識のうちにそうした考えを持つようになる。考えてみると学校で起こっていることのすべてはその通りです。

「しっかりとした人間関係の築ける人間に育ててください。ただしウチの子に小指の先ほどの苦しみも悲しみも与えないでね」
「部活を強くしてください、勝てるチームにしてください。けれど子どもが苦しむのはだめ。そのたびに親を動員するのも困ります」
「子どもの成績を上げてください。だけど宿題を山ほど出して子も親も苦しむなんてまっぴらです」

 文章にしてみるとミもフタもありませんが、一部の親たちが遠まわしに言っているのはそういうことです。

 教師はサービス業だと言われたらすかさず反論しなければなりません。いやそう言われる前にはっきりと突きつけておかねばなりません。
「学問に王道はない」
「大きな成果を得るためには大きな犠牲が必要」
「学校がサービス業だとしてもそれは金を払ってくれる国民全体に対して行うべきサービスであって、あなたやあなたの息子さん個人に行うものではない」
「強くなりたかったら努力しろ」
・・・そういった、ごくごく当たり前のことをです。