「祝祭(ハレ)の日」~同じアホなら踊らにゃ損、損

 民俗学者柳田國男は日本人の世界観として「ハレとケ」の概念を提唱しました。「ハレ」は漢字で「晴れ」と表現され、「晴れの日」「晴れ着」といった言葉があるように祭儀・年中行事のような非日常を表し、「ケ」は日常を表します(明治以前は「晴れ着」に対してケ着という言葉が使われていましたが今はなくなりました。漢字としては褻を用いますが、これも今は使われなくなった字です)。

 これに後の民俗学者が「ケガレ」の概念を加え、日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇する状況を「ケガレ(褻枯れ)」といい、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復すると考えるようになります。

 ハレの日には赤飯や白米・餅を用意し、尾頭つきの魚や酒も口にします。器も特別のものを使います。ハレの着物を身につけ、踊りや音曲といったこれも日常にはないものをふんだんに使う、それがハレです。

 特に村の祭ではこの日一日を無礼講とし、何でも許される特別の日として扱ったりもしました。そしてその翌日からは非常に律儀な日常生活が始まります。「働かざる者は食うべからず」と言いますが、昔の農民は雨などで農作業ができないと本気で昼食を抜いたりしました。それがまさにケなのです。

 現在では餅も尾頭つきの魚も酒も特別な日の食べ物ではなくなり、踊りも音楽も日常の中に深く入り込んでハレとケの境は曖昧になっています。

 しかし日常を営むエネルギーの枯れた状態を祭に打ち込み、無我夢中になって踊り明かすことで回復して再び日常に戻るという構図は、今でもよく分かります。祭への傾斜が深ければ深いほどそうなって行かざるをえません。

 さて、今日は文化祭。「同じアホなら踊らにゃ損、損」と言います。すべての子どもがケのエネルギーを取り戻すよう、私たちも踊りまくりましょう。