カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「生きること」~縦の糸は命のバトン、横の糸は人間関係

 私は相田みつをという人がどうしても好きになれません。あの説教臭い、単純な物言いが嫌いなのです。しかし残念なことに、相田みつをの詩が教育的に効果のあることは認めざるをえません。

 自分の番(いのちのバトン)
  父と母で二人  父と母の両親で四人 そのまた両親で八人
 こうして数えていくとゆくと 十代前で、千二十四人 二十代前では―?
 過去無量のいのちのバトンを受けついで いま、ここに自分の番を生きている
 それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです

 遠い過去から受け継いで、遠い未来へと続いていくはずの「いのち」を、あなたの代で(私の代で)途切れさせてはならない、それが縦の方向の宿命です。

 もうひとつ、
 私たちは、生物学的には「ヒト」ですが、社会的には「人」と「人」の「間」に生きる「人間」です。生まれたときから一定のネットワークを持っているのです。

 どんなに役に立たないように思える人でも、その人を生きがいとして生きている人がいて、ライバルのように睨みつけている人がいて、うらやむ人がいたりねたむ人がいたり、アイツでもがんばっているんだからオレも頑張ろうと思う人がいて、愛する人がいる。
 そうした人間のネットワークを断ち切る権利は、誰も持っていません。それが平面に広がる横方向の宿命です。
 この縦と横のふたつの方向で、私たちは宿命づけられています。
 いつか子どもに「なぜ人は生きていかなければならないのか」と問われたら、そのとき答えようと思っている、それが私の答えです。