「透明人間になったら初めに何をするか」という設問があってたいていの男はよからぬことを考えるものですが、似たようなものでありながら「タイムマシンがあったら最初になにをするのか」という問いに会ったことがありません。もしかしたら可能性が広すぎて発想が追いつかないかもしれません。ただし私にははっきり言えることがあります。
タイムマシンがあったら二十歳前後の自分に会いに行って、とりあえずそいつをボコボコにぶん殴ります。そのくらい当時の自分が許せないのです。
その頃の私は自分のことを天才だと思っていました。ただし悩ましいことに何の天才かわからない、自分はただものではない、しかしどう「ただものではない」のかは自分にもわからないので困ってしまう、そんな状況です。ですから何も決められない。自分が見当違いの方向に歩んで行ってしまうのではないかと、いつも恐れている。
――少年老い易く学成り難し。
――人生は何もせずに生きるには長すぎるが、何かを成し遂げるには短すぎる
しかし早く何かを見つけなければと焦りながらも何もしないのです。ピカソに匹敵する画家の素質を持ちながら作曲の勉強をしてしまう、スピルバーグのような天分を有しながら落語の台本を書こうとしている、そんなことになったら私の人生は台無しです。そう考えると何かに身を入れて努力しようという気にならないのです。
根拠のない有能感と自負心、それと対照的な不安と臆病――。根性も根気もなく、打たれ弱く怠惰。それが十代・二十代だったころの私です。
のちに私は「他人を見下す若者たち」(講談社現代新書 2006)の中に私そっくりの若者を見つけますが、そういった若者は本の出る30年も前からいましたし今もいるのです。
おそらく東京あたりには何の取り柄もない歌手志望やら俳優志望やら、あるいは小説家志望だの漫画家志望などがウジャウジャいるはずです。10万円の資金もないデイトレーダーの卵、画期的な電子機器のアイデアが降ってくるのをただひたすら待っている偽ジョブズ、そんな人も多そうです
だってゴールデンボンバーは楽器もできないのに紅白に三連続で出てるじゃない、お笑いの又吉直樹だって初めて書いた長編小説で芥川賞を取ったじゃない、オレの中にだって何かが眠っているはずだ――。
私は大学4年生になっても自分を決めかねていました。オイルショック後の不況のため一生懸命やったところで就活の難しい時期に頑張らない。だからどうしようもない。秋に至って冬が近づき、私はすっかり途方に暮れてしました。そこへ悪魔の笛に導かれたような、おいしい話が飛び込んでくるのです。
(この稿、続く )