「子どもを信じなさい」とは言うものの、「うちの子に限って・・・」と信じて馬鹿を見た親はいくらでもいますし、「この子は万引きなんか絶対にしないと信じていましたのに・・・」と警察で言って、誉められた人もいないでしょう。
「あなたはきっと東大に入る」などと信じられたら、子どもの方がかないません。
要するに信じ方が違うのです。
子どもについて信じられるのは、次の一点だけです。
すべての子どもは良くなりたいと思っている、「すごい奴だ」とみんなから言われたいと思っている
学校では勉強で、あるいは体育で、すごいと思われたいと思っている、あんなことができるこんなことができるといって、みんなから誉められたいと思っている、それは間違いのないことです。
けれどだれもが、勉強や体育で力が発揮できるものではありません。
学校のすべての場面で「誉められる可能性」を失った子は、どこで誉められたら良いのでしょう。
「オマエ、先生に反抗できるんだ! スゲェナァ」
「あ、タバコ吸ってんだ、スゲェナァ」
そういう世界だってあるのです。
そのあたりをしっかり考えていかないと、悪魔の誘いから子どもを助け出すことはできないのかもしれません。