判断は下せない

 人権啓発協議会で、学校におけるいじめ問題の難しさについて話したところ、続けてこんな質問が出ました。

「ほかの学校のことだけれど、最近こんな話を聞きました。ある小学校にアトピーで苦しむ子がいて、顔や体が痒いのでしょちゅう身体を動かして掻いていた。ところが周囲の子どもたちがそれを落ち着きがないと勘違いして、“集中できない”とか“うるさい”とか言って邪慳にする。しかし先生は気づいているのにそれに対して何も言わないというのです。本人も家に帰って親にそのことは言わなかったのだけれど、別のお母さんがそれを知って母親に教え、初めて事実が明らかになった、そういう話です。学校の先生というのはそれが教育だと思っているのでしょうか」

 私はそれについて次のように話しました。

 私は、そこには何らかの誤解があるような気がします。本当のことはもっと調べなければ分からないということです。

 思い描いてみましょう。

 子どもの集団がいてそこにアトピーの子がいて身体を掻きむしっている。その周辺で子どもたちが嫌がったり迷惑がったりしているとき、みなさんは見て見ぬふりをします?

 そうでしょう? そんな明らかな人権侵害の場にいて、注意しない大人なんて一人もいるはずがありません。ましてや教師です。

 もちろん幼稚園から小中高まで、“先生”と呼ばれる人は百万人もいますから、一万人に一人といった異常者だけでも百人もいることになります。ですからその先生が特別異常ということがないわけでもありません。

 またいわゆる学級崩壊の場合は、担任が誰かに肩入れをすればするほどその子がいじめられてしまいますから全く手が出せない、そういうこともあります。しかしいずれにしてもごく稀なことです。

 ではそうでないとしたら、どういうことが考えられるのでしょう。

 ここで考えられるのは、これが被害者側の視点からのみの情報ではないか、ということです。

(ここで私は給食袋で殴り合ったYさんの話をしました。《2011/6/14のデイ・バイ・デイ》)

 子どもというのは主観的な生き物です。だから子どもなのです。子どもは嘘をつくわけではないのですが、子どものことはすべて基本的に“ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語”なのです。

 Yさんについて言えば、大好きな男の子に給食袋で叩かれたことが本当に学校に行けなくなるほど、悲しかったのです。そこでは“こちらが先に後ろから殴りかかった”という客観的事実など、大したことはないのです。

 また逃げ回った先で、もう一人のステキな男の子に「来るな!」と言われたのは、もう絶望的なほど悲しいことでした。だって同時に二人から冷たい仕打ちを受けたのですよ。そんな巨大な悲しみの前には、“逃げた拍子にその男の子の机を突き飛ばしてしまった”という事実など鴻毛ほどの価値もありません。

 同様に、アトピーの子についても、先生は何度も注意してくれたかもしれません。しかし先生が見落としたただ一回が、その子には本当につらい一瞬だったのかもしれません。あるはもしかしたら、アトピーで身体を掻いたのは事実としてもそれは身体を動かす主たる原因ではなく、実はほんとうに落ち着きのない子だったのかもしれません。そもそももしかしたら、子どもたちはその子がアトピーだと知らなかったのかもしれません。あるいは知っていてもその辛さについて教えられていなかったのかもしれません。

 いずれにしろ、“酷い教師の物語”はたくさん世間に広まっていますが、私は基本的に教員というものを信じていますし、信じられないようなできごとが聞こえてきたら、それは「もっと調べることが必要な事実だ」と考える癖がついています。