カイト・カフェ

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「困った親たち」~稀に新聞記事になると小気味いい

 昨日のN新聞教育面に気になる記事がありましたので紹介します。尾木直樹という人を私は信用していませんが、たまには面白い話をしてくれます。

「困った親たち」~余裕ある視点で受け止めて  尾木直樹

 ちょうど一年前に「校長・教頭のための困った親への対処法!」なる本を出版した。読者が限定されているためにあまり広がらないと思っていた。ところが、うれしい誤算。版を重ね続けている。この本に絡んだテレビ出演はすでに三回も。先ごろは、関西中心の番組だった。その「困ったさん」ぶりは以下の通りである。

「息子がフロに入らないので先生から言ってくれ」
「朝起きないので、先生が起こしに来てくれ」 
「学校でケータイを取り上げていた期間、料金は日割り計算で弁償してほしい」
「近くにスーパーができる予定だが、なぜ学校は許したのか。子どもが万引したらどうするのか」

 授業参観に来た親たちは、ガムをかみながら。弟はあめを口に教室内を走り回る。教室の前に出てきてビデオカメラをまわす親。廊下を歩きながら教室に手を振り、窓越しに「◯◯ちゃん」と呼びかける親。土足が禁じられている廊下を、まるで道路のようにベビーカーを押して歩く親。先生の質問にわが子が手を挙げないと、つかつかと歩み寄って、頭にゲンコツを落とす親。
 ここには、社会性や公共性のカケラもない。「子供親」そのものである。家庭訪問しても居留守を使う。「きょうは疲れているので明日にしてくれ」とか。あまりにも「自己中心」すぎる。不信感むき出しのクレームも多い。先生が夏休みに自宅で洗車をしているとサボりではないかと、教育委員会に電話をするようだ。夏の子どもが不在の時ぐらい、「年休」を取るのはしごく当然のこと。「無関与」も困るが「過関与」にも頭を悩ます。学校も今では、一つの商品として「市場化」されたようだ。選ばれる時代に入った。だから毅然とした姿勢を貫けないのかもしれない。教員の不祥事報道や親の高学歴化で、学校の権威が失墜したことも響いている。また「説明責任」ばかり力説する学校も墓穴を掘っている。
 もちろん親たちも、核家族化の上に地域の人間関係が希薄になり、子育てに自信が持てない分、学校に依存したり、不安を攻撃性で解消したりしているのだろう。だから学校は毅然としつつも、受け止め、共感を示しながら、教員も共に社会性を学んでいくくらい余裕のある視点で、「困った親」現象と向きあってはどうだろうか。