カイト・カフェ

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「子どもたちは一週間で変わる」~いよいよ明日は始業式

 以前勤めていた小学校での話です。

 その学校に赴任してまず驚いたのが清掃の騒がしさでした。休み時間なら半分はグランドに出ているのに、清掃時間はほとんどが室内ですからその連中が一斉に騒ぎ始めるとハンパではないのです。三人に一人は掃除なんかしていません。

 相当に頭にきてそれから一年、私は清掃の時間になるとほうきを振り回しながら学校中を怒鳴ってまわったのです。そしてその結果、怒鳴る私の10m先の教室から、私の通り過ぎた10m後ろの教室まで、合わせて20m分の教室と廊下は静かな清掃ができるようになりました。つまり静寂な清掃区間が私と一緒に学校中を移動しているのです。

「コリャ、ダメだな」
 一年やってほぼ諦めかけました。そのときです。

 次の年度が始まって初日の清掃はやはり騒がしく、しかし妙な違和感があって“何か変だな”と思っていると翌日から日を追って静かになり、翌週は月曜日から学校中が完全に静かになって清掃し始めたのです、何もしないのに。まるで魔法のようでした。

 その週の職員会議で生徒指導主事の先生が、
「子どもって、一週間で良くなるんですね」
 そう発言したのがとても印象的でした。

 何が起こったのか。
 思うにその前年だって先生方は苦労していたのです。静かな清掃に振り替えようと努力をしておられました。しかし習慣として定着した“騒がしい清掃”はそうは簡単に直らない。一年かかっても直らない。

 ただし教員ががんばっている間に、表面は相変わらず騒ぎながらも内心「これではいけない」と思う子が徐々に増えていたのです。その子たちが学年をひとつ上がった新年度を期に、「今年はしっかりやろう」、そんな気になって静かな清掃を始めた―おそらくそういうことでしょう。

 初日は少数派でした。私たちが気づかないほど少ない人数でした。しかし子ども同士は良く見ていて翌日、その静かなマイノリティに数人が加わる。その翌日もまた増える・・・そして一週間が終わるころには、周囲がまったく見えない迂闊な子にさえ、そうした流れははっきり見えてきて従わざるを得なくなった、こうして静かな清掃は完成したのです。

 子どもたちは新年度、新学期、そのたびに“生まれ変わるために学校に来る”、そう確信した日でした。

 ただし私たちはそうした意志を読み落とすし、子どもはもともとが弱いものですからすぐに誘惑に負けてしまう。“静かな清掃”の成功は、たまたま同じ意志を持った子が(全体から見れば小数とは言え)かなりの数に及んでいたということが幸いしたのでしょう。そういうことです。

 さて、明日から新年度。
 新入生はもちろんですがその他の児童生徒も某かの決意をもって学校に来るはずです。何人もの子が“生まれ変わるために学校に来る”日です。その芽をしっかりとつかみ、大切に育てたいものですね。