カイト・カフェ

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「卒啄同時(そったくどうじ)」~教える者と学ぶ者の同期

 ヤクザの女将さんから弁護士になり、最近まで大阪市の助役だった大平光代さんは、6年ほど前「だからあなたも生きぬいて」という本を書きました。ベストセラーにもなりましたから読んだ方も多いと思います。
 私自身は「ヤクザの女房だった私だって弁護士になれたんだから、だからあなたも生きぬいて」と言われても……と、やや鼻白んだ感じでした。それはよほど頭のいい人でないかぎりできないことで、普通は高校入試だっておぼつかない。努力してもできないことはあるのです。しかしだからといってこの本の価値が下がるわけでもありません。

 この中のもっとも興味深い一節は、離婚してクラブホステスをしていた時に、父親のかつての知り合いの(現在は養父となっている)大平浩三郎氏と運命的な再開を果たす場面です。光代さんはこの人の諌めと強い勧めによって更正を決意し、現在の道を歩み始めるのです。今、手元にその本がないので確認できないのですが、この時の浩三郎氏の言葉は、しかしそれほど大したものではありませんでした。誰でも言いそうな、あるいは光代さんなら誰かからすでに何度か言われてきたような、そんな平凡な言葉だったような気がします。ただし、タイミングは絶妙だったのかもしれません。

「卒啄(そったく)」または「卒啄同時」という言葉は,私たちの世界では非常に好まれるものです。もとは禅宗のもので
『ヒナが卵の内から声を発することを卒と言い、親鳥が殻をつついてヒナを助けることを啄と言う。「卒啄同時」とは,いままさに悟りを得ようとしている弟子と,それを導く師家の教えが絶妙に呼応することの喩えで,そこから絶妙の機,得難い好機というような意味にもなる』
と説明されます。求める心に与える心が適切に反応することを言います。大平さんの場合、それが完璧に行われたのでしょう。

「卒啄同時」は私たちにとって非常に大切な概念です。しかし困ったことに、公立学校の子どもたちはしばしば卒を怠ります。あるいはそもそも卵の中で成長を拒否しヌクヌクと眠る道を選んで出て来ようとしない、声を上げない・・・それを何とかしようとするのが私たちですから問題は簡単ではありません。

 私は最近、ある中学生の母親から深刻な相談を受けました(問題が深刻というよりは、母親が深刻)。
 その時「卒啄同時」を思い出したのですが、ややこれとは違う気がしました。そして同じく仏教で使われる言葉「同行二人(どうぎょうににん)」について話しました。
「同行二人」については、改めて書きたいと思います。