カイト・カフェ

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「私のフランス革命はどこから来たのか」~今日は革命記念日。世界がとても単純だった時代に学んだこと

 インターネットのなかった昭和の時代、世界は今よりずっと単純だった。
 テレビを見てラジオを聞き、新聞と雑誌を読んでおけば、
 世界とそれに対する自分の位置が分かった。しかしそれにしても、
 当時なぜ私たちはフランス革命なんぞに興味をもっていたのか。
という話。ドラクロワ民衆を導く自由の女神」:パブリックドメインQより)

堀部安兵衛を知っていますか?】

 昨日、遅刻しかかって一生懸命に走る女子中学生のことを
「成長を見越して丈を長くとったスカートを、バサバサと捌きながら走る姿は、まるで高田馬場に向かう中山安兵衛こと後の堀部安兵衛……」
と書いて、我ながらうまい表現だと悦に入っていたのですが、今日になって、
「あれ? 堀部安兵衛の『高田馬場の決闘』って、みんな知っているよね?」
と不安になりました……というより「わかんねぇだろうなぁ」と思い始めたのです(この「わかんねぇだろうなぁ」も昭和世代にしか「わかんねぇだろうなぁ」という話かと思いますが)。

 教養をひけらかしたつもりはありません。大河ドラマ視聴率40%などと言っていたころの人たちで、堀部安兵衛の名前を聞いたことのない人はまずいないからです。歌舞伎の演目「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士討ち入り事件(1703年)の中心的人物で、討ち入りの9年前にはすでに「高田馬場の決闘」で江戸市中に勇名を馳せていた人です。
 昭和の人ならほとんど誰でも知っていたことですが、今やテレビの民間放送に連続時代劇が一本もない時代、堀部安兵衛どころか赤穂浪士だって服部半蔵だって、あるいは坂本龍馬ですら無名になってしまったのかもしれません。

――とここまで書いて、そこから時代劇のなくなった現代を嘆いてもいいのですが、逆に考えるとあの時代、なぜ私たちはあれほど時代劇に熱中し、子どもたしはチャンバラごっこに夢中だったのでしょう。その方がむしろ不思議です。江戸時代なんて私が生れたときから数えたって100年も前のこと、懐かしんだり「ある、ある」と首を縦に振る人もいなかったはずなのに……。

 ただしそれを言うならもっと不思議なこともありました。それはヤクザ映画の興隆です。世の中にヤクザと親交があり、ヤクザに親近感を持つ人というのはほとんどいないと思いますが――それなのにあれほど多くのヤクザ映画がつくられ、昭和の大スターが生まれて来たのはなぜなのか、考えてみるとほんとうに不思議な話です。その筋の方たちに映画ファンが多くて、行けば館内はヤクザ様ばかりが鑑賞に来ていた、ということもなかったはずです。不思議なことですが、おかげで、私もヤクザの世界にだいぶ詳しくなりました。

【みんなが、ほぼ同じ流れの中にいた昭和】

 以前、ネット時代の文化は大宇宙の中の無数の島宇宙みたいな構造になっていて、こちらで全盛なものをあちらがまったく知らず、あちらで当然のものがこちらにはまったく伝わってこない、しかも両者ともに少数派ではない、というお話をしました。

 ある人々にとって、「マルーン5」はもう20年も前から熱狂的に支持してきた存在で、生活の中にどっぷりと入り込んでいます。しかし知らない人にとってはそもそも「マルーン5」が何なのか、ゲームアプリなのか、乗りものなのか、それすらも分かりません。私はたまたま触れる機会があり、10年も遅れていま夢中になっていますが、接する機会がないと若者の中にも分からない人はいくらでもいます。

 それに比べたら昭和はほんとうに単純で、自分の位置の分かりやすい時代でした。「流行」という言葉が頻繁に使われたように、日本全体にいつのまにか「流れ」ができていて、日本人はそれに乗ってさえいれば、誰とでも話ができたのです。

 二十歳くらいのころ、私は勝海舟に夢中であれこれ調べては知識をせっせとためてウンチクを語っていたものですが、おそらくそれはNHK大河ドラマ勝海舟」の先行ステルス・マーケティングに引っかかっていただけです。私はまたユーミンこと松任谷由実荒井由実)の発見者のひとりを自認していましたが、それも雑誌やラジオが触れなければ知るはずもありませんから、真っ先に踊らされた一人だったということでしょう。
 早かっただけで、いずれはほとんどの日本人が同じ道を通って、同じように同じ場所に着いたはずです。

 世界はマスメディアが握っていました。早いか遅いかの多少の違いはあっても、日本人の大部分が同じ文化を共有していて、テレビやラジオが発信していることでまったく知らないということはありませんでした。だからあとになっても知らないと、バカにされたのです。
 簡単な時代だったのですね。

【私のナポレオンやフランス革命はどこから来たのか】

 ところで、私は中学生のころからナポレオンに夢中で、そこから遡ってフランス革命についてもかなり熱中して調べ、ひととも話したものです。あれは何の、どんな情報に踊らされてのことだったのでしょう。当時はフランス革命やナポレオンについて語れる人はいくらでもいました。
ベルサイユのばら」はそれよりも後ですからその影響ではありません。ただし、もしかしたら作者の池田理代子さんも同じ風潮の中で「ベルばら」の構想を練り始めたのかもしれません。みんな同じ流れの中にいましたから。

 さて、きょう7月14日はフランスの革命記念日、1789年のパリでバスチーユ監獄が市民に襲われた日です。
 マリー・アントワネットナポレオン・ボナパルトはもちろんですが、この時代のフランスには勉強する価値のある魅力的な人物がたくさんいます。ジャコバン党のロベスピエールやダントン、マラー。そのマラーを暗殺したシャルロット・コルデーや私たちが高校で学んだ「質量保存の法則」の発見者ラヴォアジエ。ラヴォアジエは化学研究とはまったく無関係な、徴税人としての罪のために断頭台にのぼりました。
 こうした人たちについてもう少し調べようと、図版まで用意しました(*1)が時間がなくなりました。

 このブログでは以前、フランス革命期の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンとデュ・バリー夫人に関する物語を書いたり、フランス革命の1789年と1689年・1889年、1989年の不思議な因縁について書いたこともありました。
 読んでいただきたいのでリンクをつけておきましょう。しかしそれとは別に、記憶をはっきりさせるために、もう一度フランス革命についてまとめておきたいですね。

kite-cafe.hatenablog.com

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*1:

ダヴィッド「マラーの死」