カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「日本人というブランド」

  一昨日のスポーツ報知(web)に【鹿島】レオ・シルバ『裁定が下された後に謝られてもそれは無意味』 という記事がありました。

 問題の内容は4日の浦和―鹿島(埼玉)戦で、浦和の森脇良太選手が鹿島アントラーズのブラジル出身レオ・シルバ選手に「くせえんだよ!」と侮辱的を発言し、2試合出場停止の処分が下ったというものです。
 記事の中でシルバ選手は、
「誰でも同じだと思うが、人は誤ちをおかしたり、ミスをしたり、人に害を与えることがあれば、その場で謝罪をする。(中略)裁定が下されたあとに謝られてもそれは無意味。彼とは深く関わりたいとも思わない」
と言っています。

 スポーツ報知はさらにシルバ選手のコメントを続けます。
「ただ、僕の日本人に対する感謝の気持ち、礼儀正しさへの敬意は変わらない。日本で感じたことに変わりはない。彼は日本を代表する人にあてはまらない。彼が何をしても僕の人生は変わらない。日本人はお互いに敬意を持って接する。文化の違いを尊重して接し合うことができると日本でずっと感じてきた。試合中に起きたことに今さら何を言っても変わらない」
 何か胸がスーッとするような清々しい話です。森脇選手のやったことがヘドロのように臭く毒々しいいものであるだけに、そのすがすがしさは格別です。

 ひとつの民族、ひとつの集団、あるいは一人の人間を評価するに当たって、人はたった一事ですべてを決するわけではありません。
 どんなひどい行為をされてもそれを圧倒的に上回る素晴らしい経験があれば、最低一回は許してくれるます。簡単に言えば親友が本気で怒ったとしても、何年も培ってきた信頼があれば「虫の居所が悪かったのだろう」とか「よほどこちらが悪かったのだろう」ということで引き取ってくれるわけです。けれどそういう背景がないと“ひとつがすべて”となります。

 レオ・シルバ選手と森脇良太選手の間にはほとんど人間関係がない、だから謝っても許してもらえない、「彼とは深く関わりたいとも思わない」と言われてしまう。
 しかし「日本人」という枠で見れば森脇選手を単なる“異端”“例外”として排除できるのです。それほど優れた信頼関係をつくりあげてきた人々が、シルバ選手の周辺にいたということなのです。


 私のネット上の友人のひとりは、外国暮らしをしていたころを振り返って、
「日本」に信用があるから、私もある程度信用してもらえた。
 日本人が頑張ってるから「日本」はある意味でブランドになってた
と話してくれました。
 素晴らしいことです。

 これまで諸先輩が営々と積み上げてきた「日本人ブランド」、私たちが守っていくと同時に守り続けることのできる子どもたちを育てたいですね。