カイト・カフェ

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「子どもたちにクリスマスの意味を教える」~明日はいよいよクリスマス・イブ

 明日はいよいよクリスマス・イブ
 子どもたちはその意味をどこまで知っているのだろう?
 宗教は民族性の基礎となるもの
 このさい少しでも、子どもたちにクリスマスの意味を教えておこう

という話。

f:id:kite-cafe:20211222201249j:plain(写真:フォトAC)


【日本におけるクリスマス】

 明日はクリスマス・イブです。
 いつも思うのは、正月まであと一週間だというのに、日本の子どもは甘やかされすぎているのじゃないか、ということです。しかしもうすっかり定着した行事ですし、日本の経済に多大な貢献をしているものですから、いまさらとやかく言うこともないでしょう。

 ハロウィーンだのクリスマスだのバレンタインだのと、意味もわからないまま日本人が飲み込まれている行事はたくさんあります。自然災害の多いこの国で、私たちの祖先は常に抑圧的・自制的に生きてきましたから、ハレの日を多く持ちたがるのは自然なことなのかもしれません。
 江戸時代まで遡らなくても、明治・大正あるいは昭和の初期まで、村祭りはそうとうに危険な無礼講でしたし、クリスマス・イブだって大正から昭和のはじめは大人の乱痴気騒ぎでした。都会は知りませんが、私の育った田舎では昭和30年代まで、飲み屋街にとんがり帽をかぶったサラリーマンが溢れていたのです。翌朝起きると枕元に、前夜父の持ち帰った余り物の折詰が――それがクリスマス・プレゼントだったなんて最低の時代。
「正月まであと一週間だというのに、日本の子どもは甘やかされすぎている」と言ったのは、そういう私の恨み節なのかもしれません。



【子どもたちにクリスマスの意味を教える】

 ところで、クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日で、イブはその前夜祭だということ――現代の子どもはいつごろ知るのでしょう? 別にクリスマスのいわれを知らなければケーキやプレゼントがもらえないというわけではありませんから、子どもたちにとってはどうでもいいと言えば、どうでもいいことです。しかしせっかくの機会ですからどの程度知っているのか確認して、少し話しておくといいのかもしれません。
 というのは、聖書とシェークスピアをはずすと英語の慣用句は半分以上なくなってしまうと言われるほどに、キリスト教は欧米諸国の人々の骨の髄までしみついているものですから、どこかで勉強しておかないと、欧米人を理解できないまま日が過ぎてしまう可能性があるからです。


【死生観がそもそも違う】

 例えば欧米の人たちが、今回のコロナ禍であれほどたくさんの死者を出しながら、なおも多くの人々がマスクもしないで街を歩き、ワクチン接種に抵抗し、ロックダウンの際にも密かに家を抜け出してパブや友人のホームパーティに行くことができるのは、明らかに日本人とは異なる民族性を持っているからです。

 新型コロナによる死者は、きのう一日をとってもドイツ・イギリス・フランスが200人前後、アメリカ合衆国に至っては2000人を越えています。日本の今日までの死者の最大値は(明らかに統計上の報告遅れを一気に修正した二例を除けば)120人程度ですから、いかに欧米人の死に対する関心・感覚は私たちより低いのか、自ずと知れるというものです。
*人口比をみるとドイツが日本の三分の二、イギリス・フランスはほぼ半分で合衆国ですらおよそ2・5倍しかありませんから、200だの2000だのといった死者はほんとうにとんでもない数だということになります。

 もしかしたら死者の復活という基本的理念を共有するキリスト教徒たちは、信仰心の篤いうすいとは関わりなく、肉体の滅びることへの恐怖感が私たちより少ないのかもしれません。具体的にイメージが浮かばなくても、死んでもいつか復活するのだからいいやと、あっけらかんとしていられる面があるのかもしれません。
 もしそうだとしたら、欧米のコロナ対策をそのままマネするわけにはいかなくなります。基礎が違いすぎます。


【子どもたちにどう教えるか】

 子どもたちにクリスマスの意味を教えると言っても、小学生なら、
「日本には日本の神様がいるように、世界には2000年ほど前にイエス・キリストというという人が広めたキリスト教というのがあって、明日はそのイエスの誕生を祝う日だ。そして今日がその前日祝いの日。ヨーロッパやアメリカの人たちにとっては、とても大切な日なんだよ」
 その程度でいいでしょう。中学生なら社会科の授業や国際理解の中で、前もって扱っておくべきでしょう。いずれにしろ、すべての子どもたちにとって関心のある日です。ただ黙って帰すのはもったいないことです。
*児童生徒の中には家がお寺だとか熱心な仏教徒ということがあります。現在では在日のムスリムということもあるでしょう。この人たちにとってクリスマスはどうなっているのかと調べたところ、国あるいは家庭によってかなり様子が違っているみたいです。宗教の問題は安易に扱っていいものではありませんから、前もってそれとなく聞いておくのがいのかもしれません。