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「市会議員は卒業式の控室で、だれと何を話しているのか」~社会三悪の行方④

 昨今、PTAが任意団体であることが周知され、
 保護者の加入する率が減るようになってきた。
 本会そのものを解散してしまう学校も出てきたが、
 なくてもさほど困らないらしい。目に見える範囲では。
という話。(写真:フォトAC)

【任意団体としてのPTAの周知】

 戦後教育も間もなく80年、あちこちにほころびが見えてきます。
 なかでもPTAは文字通りアメリカ由来の組織で、80年間名称変更が話題にならかったのは、結局のところ、日本にとって異質のものであり続けたからかもしれません。日本人の感性に深く支えられないものは、長続きしない――80年近くも続いたのですから「長続きはしない」は言い過ぎでしょうが、壊れていくならこの辺りからかもしれません、
 
 任意団体であるにも関わらず長いこと半強制加入を強いられてきたことに疑問を持つ保護者が増えてきたという事情もありますが、なんと言っても1990年代には拮抗していた専業主婦世帯数と共稼ぎ世帯数が21世紀に入って一気に共稼ぎ世帯優位となり、現在は1:2を越えてさらに広がろうとしているからですます。そうなるPTAの実働部隊としての専業主婦は一気に少なくなり、「学校のことは妻に任せて」という文化も成り立たなくなります。さらに「役員は一度やったから」という説明を受け入れると、小学校6年生の段階で役員ができる人は一人もいないといった状況も生まれ、PTA活動は重苦しいものとなっていきます。
 
 そんなところとからまず、PTA加入の任意性を明らかにすべきだという主張がされるようになり、PTA会長または学校長は新年度の始まる前に、来入児の保護者に向かって「加入は任意である」という説明をしなくてはならなくなりました。任意にと言われれば迷う人も出てきます。
 
 私の初孫のハーヴが入学する際も、娘は最後の保護者説明会(2月)でそのような説明を受けたといいます。帰り道、たまたま保育園のママ友二人と一緒になり、娘は黙っていたようですが、こんな会話が行われたといいます。
「PTA、どうする? 任意なんだよね」
「なんかたいへんな割にはいいこともなくて、卒業式のときにリボンをもらえるかどうかだけみたいよ、違うのは」
「だったらそんなの、自分たちで用意すればいいものね」
「やめとくか」
「入らなくてもいいよね」

【PTA組織はなくなっても困ることはない(?)】

 世の中には無償で誰かのために働くことが好きでしょうがないという人もいますが、PTA活動に参加しようという保護者の大半は、求められるから応えようという人です。別に好きなわけではありません。
 小中学校の教育は義務だし、教職員は給与をもらって仕事をしているのだからと考えれば「子どもが学校にお世話になっている」という表現はまったく不適切ですが、いまでもそう考える文化は残っていますし、現実問題として、日本の教師のほとんどが給料分働いたらさっさと家に帰って遊んでいると考える人は、さすがに今日はいまいません。
《先生が頑張ってくれるなら、私たちも汗を流しましょう》
と、そんなふうに考える保護者が多くいても不思議はありません。PTAのPとTが、同じように頑張るという考え方です。しかしそれでも限度があるという人も少なくありません。
 
 そこで役員決めの難航を機に、PTA活動を一度やめてみるのはどうかという考えも生まれ、実際に廃止してしまう学校も現れています。小学校の運動会の手伝いだとか学校の整備作業だとかは必要ですから仕事自体は残し、その都度ボランティアを募って対応しようとします。いまのところ、かなりうまく行っているみたいで、例えば、
「心から楽しんでボランティアに参加しており、サポーターのキャンセルが出てもフォローできるような仕組みで運用されていました。帰宅部の人がいても気にならなかった学生時代の部活のように、『自分が楽しいから活動していて。活動しない人がいても問題ない』というようなスタンスだったので、気負いなく参加できました」(2023/07/15 ESSE on line「PTAを廃止した小学校の画期的な取り組み。「気軽に参加できる」工夫とメリットとは」)。

 ただ、私はどれだけ形を変えようと、PTAという組織自体はそれでも残すべきだと考えています。それは一般の会員(保護者と教師)には計り知れない、ある事情のためです。

【市会議員は卒業式の控室で、だれと何を話しているのか】

 議会の季節になると市役所各課には議員から様々な質問通告が寄せられます。
 質問通告というのは、議員が本会議で質問をする場合に、あらかじめ議長に質問の趣旨などを告げて知らせることをいいます。議長は写しを執行機関(市長・教育長)へと送り、執行機関はそれに従って答弁書を作成するわけです。ところがその質問通告の中に、恐ろしく具体的な話が挟まってくることがあります。例えば、
「市内の○○中学校では2月中旬以降、灯油の備蓄が極端に減ってしまい、毎日の使用時間が短縮されて生徒たちが寒い思いをしている。このようなことは全市の学校で起きているはずだが、実態はどうか。今後の冬に向けて、どう対処していくのか」
といった具合です。経験の浅い職員だと議員がどうやってこんな具体的で細かな情報を得たのか首をかしげますが、ベテランは一言で簡単に説明してしまいます。
「卒業式だか入学式で、PTA会長あたりから吹き込まれたんじゃねえか?」

 おそらくそうです。市会議員の多くは兼業で自由な時間があまりありません。選挙区内をくまなく歩いて問題を探すといった時間的余裕はそうはないのです。陳情ということも考えられますが、有権者からタイミングよく話が持ちかけられることもあったりなかったり――そこで都合がいいのが、来賓として招かれる各種地域のイベントです。
 入学式も卒業式もそのひとつですが、議員にとっては顔を出せばいいだけの退屈な時間を、待ち構えて話しかける人もいるのです。PTA会長もその一人です。議員は「何か困っていることはあるかい?」とさりげなく声をかけ、会長は「実は・・・」と答えるわけです。
 たいていはその場限りで終わってしまう話ですが、中には議員として翌日に対応しなくてはならないこともあれば、本会議開催にあたって急に思い出されることもあります。そうしたやり取りを通して、学校の環境が向上すれば、次の選挙を考える議員にとっても、子ども教育環境をよくしたいPTA会長にとっても利益です。
 PTA会長が議員に近づいて議員を動かそうとする機会はほかにもたくさんあります。市の新年会の名刺交換会、PTAと議員の懇談会、先ほどから挙げている入学式・卒業式・運動会・文化祭等々。もちろん校長も同様の働きかけはしますが、控室で暇をかこって四方山話をしている来賓のようなわけにはいきません。議員とじっくり話す機会はあまりないのです。

【誰が保護者を代表して行政と戦ってくれるのか】

 PTA会費が機器の運転費(エアコンの電気代等)、あるいは機器本体(例えば特別教室のエアコン設置など)の購入費、部活補助費などに充てられることを問題視する人がいます。必ずしも望ましいことでないのは私もわかります。しかしだからといって、PTAが手を引いても行政が肩代わりしてくれることはありません。
「わが校にはPTAがないので、PTAがあって資金潤沢な他校を後回しにして、こちらに予算を回してほしい」
などと言っても通用しません。PTAがないほうが予算が取りやすいとなれば市内のPTAは一斉に潰れて、市への予算請求が一気に増えてしまうからです。むしろ懲罰的に後回しにして、ほかの学校のPTAを守った方が行政としては得です。
 もちろん後回しにされた学校からするとそんな差別は許せませんが、「許せない」と学校を代表して交渉するのが校長ひとりですからあまりにも心持たない。校長は校長で、行政と対立したくない理由が山ほどあるのです。
(この稿、続く)