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「学校は保護者からも捨てられてしまった」~PTAの堤防に小さな穴が開いた。さあ、いまこそ崩すときだ

 PTAを解散する学校が増えて、メディアも解散を積極的に後押しする。
 もう時代錯誤の強制はやめて、人々の善意を生かすべきだと。
 しかし私は悲しい。
 学校は保護者にも捨てられてしまったからだ。
という話。(写真:フォトAC)

【PTAの堤防に小さな穴が開いた。さあ、いまこそ崩すときだ】

 3月中旬、母の住む地区の中学校でPTAが解散になったという噂を聞いて強い衝撃を受け、三日連続の記事にしました(*1)。

 ところがそのあと、3月27日になったらYahooニュースに『PTAはもう限界? “9割以上賛同”中学校が「解散」決断 理由は「加入率低下」「難航する役員選び」』というタイトルで長野県松本市の中学校でPTAが解散になったという記事が出て、調べると元ネタが長野放送なのでそこからの引用として別ブログ記事にしました(*2)。

 ところが昨日(4月3日)になって、同じYahooニュースに『PTAは時代錯誤!?「解散」に“9割以上賛同”市内一の規模の中学校が決断 専門家「今後は拡大傾向に」』というFNNの記事が出て(*3)「やれ、やれ、またかい」と思ったら、3月28日の長野放送の記事がそのまま全国版として流されただけでした。
 ただしタイトルは一歩進んで、「時代錯誤!?」「今後は拡大傾向に」。何が違うかと言えば長野放送の元タイトルでは“加入率の低下と役員選考の困難でやむなく解散した”といった印象が強かったのに対し、FNNの全国版では“PTAが時代錯誤だから解散を決断し、今後、この方向が拡大していくだろう”と、PTAの解散を積極的に後押しする印象があるのです。

「さあ、突破口は開いた! 者ども、前へ、進め!」
ということです。

【PTAがなくなると現実化する三つの悪夢】

 もう4回にも渡って書いてきたのでこまごまと説明しませんが、解散に反対する理由を簡単にまとめると、

  1. PTA会費や資源回収で集められた資金は学校経営にしっかりと絡みついていて、なくせば児童生徒の教育環境は急激に悪化する。自治体はその分を絶対に穴埋めしないし、寄付や募金で同額が集まるはずがない。
  2.  保護者の学校へ来る機会が極端に減って楽になるが、その分、保護者と学校(教員)、保護者同士の関係は薄まり、正確な情報が取れなくなる。憶測ばかりが飛び交う。
  3.  問題が起きたとき、保護者を代表する人間がクラスにも学校にもいなくなる。学校は刻々と代わる状況を誰に報告すればいいのか分からず、助言も得られない。保護者は事態の変化からおいて行かれる。

 ですからPTA役員や校長は、どんなにPTAをやせ細らせても、何十回説明会を設けても、あるいは土下座してもPTA予算とPTA会長の存在を死守すべきだと思うのですが、今や「時代錯誤!?」で「拡大傾向に」なのです。
 ではどうしたらいいのかというと、時代錯誤ではない現代的なやり方はボランティアなのだそうです。
 残念なことにソースを失ってしまったのですが、メディアによればPTAをなくして強制をやめると、参加者はむしろ増加し、みんな生き生きと自主的に活動するようになるのだそうです。宿題をなくしたり教えることをやめたりすると、子どもたちが自主的にどんどん学習を進めていくのと同じ論理です。私は信じませんが――。

【学校は今や保護者からも捨てられてしまった】

 いやいや、言い始めるとやはりしつこくなりそうです。それに私はそんな現実的なことを話したいのではありません。私はただ、ただ、無性に悲しいのです。

 PTAというのはそもそもが任意のボランティア団体です。PTAのPが保護者というだけの理由で強制的に加入させられたように、教師もまたその学校に赴任してきた「T」だというだけの理由で加入させられ、土日、あるいは放課後も活動に参加してきました。赴任するまで見も知らぬ土地の、縁もゆかりもない子のために、保護者と一緒に、金と時間と力を使おうとしてきたのです。
 それを教師たちより先に保護者たちが、
「もう支援する気はありません。あとはやりたい人たちでやってください」
と身を引いてしまったのです。

 PTAの活動は、本来は公費と学校の力だけでやるべきことを、それでは不十分なので保護者と教職員が協力して支援していこうというものです。そこから保護者が下りてしまえば、残るのは教職員だけです。その教職員が「やりたい人たち」の筆頭にさせられます。
 教職員だけでは足りない場合はその都度ボランティアを募ってと言ったりしますが、集めて仕事を割り振るのは担当教師、人数が足りなければ保護者に声をかけて出ていただくには担任教師の仕事になります。

 それでもボランティアの人数が足りなければ、足りない範囲でできるように行事の方を縮小すべきだといった意見もあります。しかし人がいないから運動会の万国旗は張りませんとか、駐車場係が置けませんから近所からの苦情に対応しませんとかいったことを、教職員に要求するのはやめていただきたい。学校と子どもと地域のためならたいていのことは我慢してしまうのが先生たちだからです。
 いざとなれば陽の沈んだ後、あるいは夜明け前、有志(PTAをやりたい人と呼ばれる)の教員は集まって旗を揚げるだろうし、運動会の最中でも教頭先生は近所を回って頭を下げていたりするでしょう。みんな学校と子どもと地域のためだからです。

 PTAをなくしてしまった学校の保護者たちは、そこまで考えた上で解散に賛成したのでしょうか?

【それでも学校は保護者に期待しすぎる】

 もちろんそんなことはありません。ほとんどの人たちはやがて立ち上がるボランティア組織に期待を寄せたのです。きっと誰かがやってくれる(私以外の)と信じたから賛成票を投じたにすぎません。学校や最後のPTA会長の説明も不十分だったのでしょう。

 ほんとうに学校に協力することに否定的だった保護者はほんの一部でした。彼らは今も言っています。
 PTAがなくなって楽になったのはいいけど、
「やたら参観日を増やして親に仕事を休ませるのはやめてほしい」
「家庭訪問で他人の家を覗きこもうなど、もっての他だ」
「子どもが悪いことをしたからと言って、週日の日中の呼び出すなんてありえない」
「だけどウチの子はきちんと育てて、高い学力はつけてよね!」
「しつけをして学力さえつけてくれれば、私たちは何も文句は言わないのだから――」

 学校にはまだまだ改革の余地があるようなのです。

(参考)
*1

*2

kieth-out.hatenablog.jp*3

www.fnn.jp