カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ロダン作『カレーの市民』の話」~8月3日の《今日は何の日》

 夏休みのために子どもに何かを語りかけることのなかった8月、
 だから調べることもなかったが、けっこう心動かされる出来事がある。
 今日8月3日はカレー包囲戦の終結した日。
 あの国立西洋美術館の入り口に立つ群像のきっかけとなった日だ。
という話。(写真:国立西洋美術館

【夏休みの「今日は何の日?」】

 いつもは書かない長期休業中のブログ記事をこうして書いているのは、いよいよ一日100人を切るか切らないかまで下がってしまったアクセス数をなんとかして維持しておきたいという悪あがきと、たまたま先週から母が入院して思わぬ時間的余裕が生まれたこと、そしてとにかく暑すぎて日中の畑仕事ができずエアコンの効いた室内で過ごすしかないこと、以上3点のためです。

 アクセス数の低下は深刻で、来てくださる方の大半は検索によっておいでのいわば「一見さん」ですが、毎年200本以上もの記事が増えていることを考えるとそのぶん「一見さん」は増えているはずで、アクセス数が横ばいだということは定期的に来てくださるいわば「常連さん」も、どんどん減っている証拠のように思われるのです。

 そこで夏休み中もできるだけ書き続け、アクセス数が維持できるか試してみようと思ったのですが、やってみるとやはりルーチン・ワーク、楽になるわけではありませんが、毎日続けることはさほど苦痛でないことはよく分かります。考えてみれば書くも休むもある意味どうでもいいことで、アクセス数の上がり下がりも大した問題ではありません。
「そんなにアクセス(あくせく)するなよ」
と自分に言い聞かせ直すことのしました。

 ネタに困って過去記事を読めば、これが4200本以上もありますからさっぱり飽きない。半分以上は書いたことも覚えていないので妙に新鮮な刺激を受けたりします。しばしば頼りにする歳時や「今日は何の日」的な歴史も、これまで夏休み中はほとんど扱ってきませんでしたから、記事の材料は案外簡単に見つかります。
 
 たとえば今日、8月3日はハチミツの日で、初の裁判員裁判が開始された日(2009)で、そして1967年には公害対策基本法が公布され、1962年には「週刊TVガイド」が発売された日です。今日が誕生日の有名人としてはブルゾンちえみ伊藤英明が上がっていますが、これは記事にならないでしょう(Yahoo!きっず「今日は何の日」)。そこでもう少し細かな、大人向けの「きょうは何の日(ちょっと便利帳)」を見ると、少し心動かされる記述が目に留まります。
 1347年8月3日
 百年戦争: カレー包囲戦が終結。カレー開城の際、6人の市民代表が人質となり他の市民を救う。
 いわゆる「カレーの市民」の事件が起こった日なのです。

カレーの市民

 「カレーの市民」と聞いてビーフ・カレーだのチキン・カレーだのが浮かんだ人はちょっとまずいのかもしれません。そうではなく、
「あれ? どこかで聞いたことあるな。ナンカ、彫刻か何かじゃなかった?」
とボンヤリ思い出せる――カレーライスのカレーとは異なるということが分かる、そういうひとならそれで十分です。
 「カレーの市民」はオーギュスト・ロダンの有名なブロンズ群像作品で、日本では国立西洋美術館の前庭に置かれています。オリジナルを型にして鋳造された世界でもわずか12点しかない珠玉の傑作で、今日のブログタイトルに使った写真はそれを撮影したものです。
 
 どんな像というと、国立西洋美術館のウェブサイトには次のように書かれています。
 1884年、カレー市民はかねて懸案になっていた、同市を救った恩人、ウスターシュ・ド・サン・ピエールの記念碑建設を決定し、ロダンが指名された。ウスターシュは、中世百年戦争の時代、イギリス国王が1347年に英仏海峡を越えて同市を包囲した際、他の5人の地位の高いカレー市民と共に人質としてイギリス国王の陣営に赴き、カレー市と市民の生命を救ったのであった。年代記を読んで感動したロダンはウスターシュ一人の代わりに6人の市民がそれぞれの絶望と苦悩のうちに、市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門を出て行く群像を作り上げた。英雄の華々しい身振りを期待していた市当局はロダンの感動的な人間像を理解できずにこれを拒否し、カレー市で除幕式が行なわれたのは完成後7年経ってからだった。

百年戦争の話】

 私は世界史についてはほとんどド素人なのでいちいち調べながらの話なのですが、百年戦争というのは1337年から1453年まで、イギリスとフランスの間で戦われた領土をめぐる戦争です。
 1337年と言えば日本では鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政が失敗して南北朝の始まった年、1453年は応仁の乱(1467年)の始まる14年前のことですから、百年戦争はほぼ、日本の室町時代前期の、安定した130年間と重なる時期と言えます。
 「英仏百年戦争」という言い方もあるみたいですが、当事者のイングランド王もフランス王も同じようにフランス貴族の出で、戦場もほとんどがフランス国内でしたから、当時の人々にとっては「英仏の戦い」という印象ではなかったようです。正確に言えば戦争が始まった時点では英仏といった国家意識はほとんどなく、戦争を通じでイングランド、フランスといったアイデンティが育ち、国境が意識されるようになってきたということのようです。
 
 カレーの市民事件はその戦争の初期、ドーバー海峡におけるフランス側の重要な港カレーが1年以上に渡って包囲され、ついには屈服した1347年に起こりました。イングランド王のエドワード3世が、市の重要なメンバー6人を出頭させれば市民には危害を加えない、と話を持ち掛けたのです。それは6人の処刑を意味するものでした。しかし6人は要求に従い、裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って裸足で歩いて出ます。ロダンの像は人々のために自らの命を投げ出した6人の、勇気と絶望、嘆きと苦しみを表現したものだと言われています。
 歴史的にはそのあと、エドワード王妃の嘆願によって6人の命は救われることになります。王妃は生まれてくる子に禍の及ぶことを怖れたのです。しかし城門を出るときの6に人は、明確な死の意志がありました。

【自己犠牲について】

 大きな声では言えませんが、私は「自己犠牲」という言葉が好きです。大きな声で言えないのは、それが必ずしも正しくない場合もあるからです。しかしそれでも私自身は、自分より重要な何か、自分より大切な誰かのために、進んで苦痛を受け入れ、場合によっては命を投げ出す、そういう生き方にあこがれたものです。
 そこで、このブログでも再三「自己犠牲」について書いて来たはずだと思ったのですが、検索したらたった5件しかありませんでした。そのうちのひとつは貴重な休日を一日出勤し、児童と保護者・地域のために漢字検定を実施した教員の話です。

kite-cafe.hatenablog.com 私はそこで、
「私たちが一生懸命働く第一の理由は、一人ひとりの子どもを愛しているからです」
と讃えていますが、そんな私たちの姿勢が、現在の限度を超えた過重労働につながったと、今は後悔しております。