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「怪物と魔物と、少女たちの甲子園」~間もなく全国高等学校野球選手権大会が始まるよ

 明後日から第105回全国高等学校野球選手権記念大会が始まる。
 100年を越える歴史の中にはさまざまなドラマがある。
 怪物がいて、魔物がいて、
 そして野球に命を捧げた少女たちがいた。
 という話。(写真:フォトAC)

【間もなく甲子園野球が始まる】

 昨日「全国高校野球選手権・組み合わせ抽選会」が行われ、いよいよ明後日(8月6日)から17日間の日程で「第105回全国高等学校野球選手権記念大会」が阪神甲子園球場兵庫県西宮市)で始まります。
 この3年余りはコロナ禍のために単純に喜んで見ていられるようなイベントではありませんでしたが、コロナ明けの清々しさの裏で、今年も部活動の地域移行問題や炎天下で大会を開くことの意味などを強く問われる難しい大会となっています。主催者も運営スタッフも、学校関係者も保護者の皆さまも、ほんとうに気を使われることと思います。どうか無事に終わるよう、心からお祈りします。

【甲子園の怪物たち】

 私自身はそもそも甲子園野球にもプロ野球にもさほどの興味がなく、出身校も100年くらい前に一度出場したことがあるらしいのですが以後は鳴かず飛ばず、今後100年経っても私たちOBを糾合して西宮に連れて行ってくれることもなさそうなので、なかなか意気も上がりません。毎年欠かさず見ているわけでもなく、どこかの高校に肩入れしているわけでもなく、とてもではありませんが《高校野球が好き》と言っていいような人間ではないのです。

 しかしそれでも1969年の第51回大会で、東北勢としては戦後初の決勝進出を果たした青森三沢高校太田幸司投手が(実にハンサムだった)、二日間で27イニングを投げながら負け投手となった試合や、1974年春の大会から春夏合わせて優勝3回、準優勝2回を果たした「さわやかイレブン」こと徳島県立池田高校の試合、あるいは1998年第80回大会で「平成の怪物」松坂大輔横浜高校を優勝に導いた試合などには思い出があります。特に横浜高校の準々決勝以降の三試合は、いま思い出しても胸が高鳴ります。
 
 準々決勝の対PL学園戦は延長17回の長丁場、逃げても逃げても追いついてくるPL学園をようやく振り切った松坂は翌日の試合に出られず、準決勝は8回裏まで0対6の敗戦模様。ところが最終回を飾るためか松坂がブルペンで投球練習を始めると雰囲気が一転。その回に4点、そして9回裏には3点を入れて劇的な逆転劇を演出してしまうのです。さらに決勝では松坂が59年ぶりとなる決勝戦でのノーヒット・ノーランを達成するなど、まさに「事実は小説より奇なり」「記録よりも記憶に残る」の三日間だったのです。
 
 ついでに言うと準々決勝のPL学園のエースは現在民放のアナウンサーとして活躍する上重聡。松坂があそこまで手間取ったのは試合の途中まで、カーブを受けようとする際にキャッチャーが腰を浮かせる癖を見抜かれており、それに気づいた横浜が修正することで試合を互角に戻すことができたといった小さなドラマもありました。そんなこまごまとしたことも含めて、自分自身の記憶のため、そのころの自分の状況も重ねてブログに記録しようと思っていましたが、いまも果たせていません。

【魔物は二度笑った】

 第88回大会(2006年)準々決勝の智辯和歌山対帝京戦は「魔物は二度笑った」試合として有名で、私もブログに書いた確かな記憶があったのですが、今回、調べたらありませんでした。完全に書いたつもりでいたので、ないと知ってびっくり。18年も続けていると「書いた記憶はないのに書いてあった」り、「書いたつもりなのに実は書いていなかった」りと、さまざまなことがあるものです。
 もしかしたらWikipediaに要領よくまとめてあるので、改めて書くことができなかったのかもしれません。
 それにしてもとんでもないドラマがあったものです。

ja.wikipedia.org

【少女たちの甲子園】

 甲子園野球は男の子だけの戦いの場でありません。スタンドにはチアの女の子や吹奏楽部の女子、そして遠路はるばる応援に来た女子生徒たちがいます。選手たちの母親や姉妹もいます。しかし何といっても最前線で一緒に戦っているのは女子マネージャでしょう。練習の時間からずっと一緒にいるのですから。
 その意味では選手のひとりと言ってもいいのですが、中には一緒に試合に行けなかったマネージャもいます。制度の問題ではなく、別の事情です。
 これについては七年前に記事にしたことがあり、手前味噌ですが自分でも最も好きな記事のひとつですから是非読んでください。引用部分はリンク切れだらけで申し訳ないのですが――。

kite-cafe.hatenablog.com