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「ヘンリー八世と千日のアン、そしてユートピア」~今日はトーマス・モアの誕生日

 今日はトーマス・モアの誕生日。
 しかしこの人、日本ではあまり知られていない。
 「ユートピア」を書き、ヘンリー八世や千日のアンと渡り合った
 カトリックの硬骨漢・・・らしいけど。
という話。(写真:パブリックドメインQ)

【今日はトーマス・モアの誕生日】

 今日、2月7日はイギリスの思想家トーマス・モア(右図)の誕生日だそうです。1478年といいますからコロンブスアメリカ大陸発見の14年前、日本史に当てはめると応仁の乱の終わった翌年あたりということになります。ちなみにモアが処刑されたのは1535年で、これは織田信長の生まれた翌年に当たりますから、歴史上のだいたいの位置が見えてきます。
 
 このトーマス・モア、何をした人かというと、15世のロンドンの法律家の家に生まれ、オックスフォード大学などいくつかの学校を経て弁護士資格を取得。下院議員になったころから時のイングランド王ヘンリー八世に気に入られ、とんとん拍子に出世して最終的には官僚として最高位にあたる大法官まで出世した人です。敬虔なカトリック教徒で、大法官就任以来2年間で6人の異端者を死刑にしたといいますから、相当な頑固者です。

 ただこれだけだと記録も残らなければ、人々の記憶にも残らない人だったはずです。それが1532年にヘンリー八世の離婚問題にかかわってこれに猛反対し(カトリックは離婚を認めないため)大法官を辞職。後に王の復讐を受けて反逆罪で処刑されます。これによって名を残しました。
 私にはその半世紀余り後に日本の最高権力者豊臣秀吉に疎まれ、切腹に追い込まれた千利休と印象が重なります。


【ヘンリー八世と千日のアン、そしてモア】

 日本史では織田信長豊臣秀吉が出てくると、俄然、話は面白くなりますが、英国史もヘンリー八世が出てくると突然、面白くなります。なにしろ正式な結婚だけでも6回。愛人は数あまた。
 妻である王妃キャサリンの侍女、メアリー・ブーリンに手を出したかと思うといくらもしないうちにその妹アン・ブーリンにも手を付け、ところがアンは姉ほどには従順でなかったようで、王に離婚および自分との結婚を迫ります。そのあたりから歴史は大きく動いて行きます。
 王は離婚を決意しますがトーマス・モアは大反対、ローマ法王も首を縦に振らない。そこでモアを処刑し、ローマとは袂を分かってイギリス国教会をつくり、国教会に離婚を認めさせ再婚するわけです。つまりそのとき歴史が動いたーー。
 
 王がヨーロッパの宗教地図を大きく変えてまで結婚したアン・ブーリンは、女の子しか産まなかったためにやがて疎まれ、3年後に冤罪を被せられて処刑されます。彼女は3年しか王妃の座にいなかったので「千日のアン」と呼ばれています。

 アンの産んだ娘はやがて王位にいてエリザベス1世となりますが、そのエリザベス1世と王位を激しく争った先の女王メアリー1世は、300人ものプロテスタントを処刑したギンギンのカトリック教徒だったことから、「血まみれのメアリー」とあだ名され、それがウォッカをトマトジュースで割ったカクテル、「ブラッディ・メアリー」の名の由来だとされています。
 ね、俄然面白くなったでしょ? この先はご自分で詳しく調べてください。

トーマス・モア著「ユートピア」】

 世の中には著者も作品名も有名で、大勢が知っているのにほとんど読まれたことのない書物、というものがあります。かなりありますがそのほとんどは高校入試や大学入試で覚えた作品です。
 いま評判の「源氏物語」やもうすぐお別れの福沢諭吉の「学問のすすめ」、坪内逍遥小説神髄」、島崎藤村「破戒」――これらは大学入試のために必死に覚えた「名前と作品のペアセット」ですが、中身については特に問われませんでしたから、実際に読んだことのある人はごくごく少数でしょう。西洋史で言えばトーマス・モアの「ユートピア」がその代表です。私も読んだことがありません。
 
 ただし「ユートピア(Utopia)」がラテン語の題名で、「U」が英語の「No」、「topia」が「Where」だという話はどこかで聞いたことがあります。つまり「ユートピア」は「Nowhere(どこにもない場所)」なのです。さらに「Nowhere」を逆に並べた「Erehwon(エレフォン)」という題名の反ユートピア小説があるという話も聞いたことがありますが、これも現物は見たことがありません。
 ただし分からない尽くしでも仕方ないので、生成AI に聞いてみたり自分で調べたりして、知識として頭に詰め込んでおきましょう。以下、叱咤被っていますが、実はそうやって調べた話です。

【で、どんな話?】

ユートピア」は、ラファエル・ヒトラーダスという架空のキャラクターが、航海中に偶然発見した島国について、ヨーロッパの貴族らと対話しながら語るという形式で構成されています。

 理想的な社会で、私有財産はなく、資源も国民に共有されています。労働や財産の平等が重視され、貧富の差が極端に狭められて全国民は家族のように暮らしているのです。
 政治的には民主的な共和制を採用しており、知識人や指導者が統治に参加しています。社会保障や医療・教育も充実していて、国民は健康な上に長生き、信教の自由も保障されています。
 一日の労働時間はわずか6時間。しかしそれは工業化が進んでいるからではなく、国民全体に、自分の利益より公共の利益を優先させる教養と徳が身についているからです。私利私欲のないユートピアでは、犯罪も恐怖も労苦も存在しません。
 
 「ユートピア」は理想的な社会の像を描きながら、その可能性や問題点について探求する哲学的な作品で、満足を知らず、傲慢かつ貪欲で、私利私欲の塊とも言えるヨーロッパ人には、とうていこのような国をつくることができない、だからユートピアなのだ、とモアは言いたいのかもしれません。
 でも、「国民全体に、自分の利益より公共の利益を優先させる教養と徳が身についている」とか「社会保障や医療・教育も充実していて、国民は健康な上に長生き」とか。だいぶ怪しくなってきましたが外国と比べるとまだまだ「貧富の差が極端に狭められて全国民は家族のように暮らしている」とか、――ユートピアによく似た国は、21世紀の極東に実在する、と私は思っています。それについては改めて考えましょう。
 
 ただし、敢えて書きませんでしたが「男尊女卑」だとか「不浄な仕事は奴隷に任せる」など、現在の価値観では受け入れることのできない性格も「ユートピア」は持ち合わせていたようです。なにしろ500年も前の物語。しかたないことなので記録には残しません。