カイト・カフェ

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「何も考えずに来られた幸せと厄介な老後」~年寄りは判断の要素に《終末》を加える②

 健康とは、身体のことを考えずにいられる状態
 経済的豊かさとは、明日の生活費を計算せずに済むこと。
 幸せとは、幸せを追求しないでいられる状況―。
 いい人生だったが、終わらせ方は厄介――
という話。(写真:フォトAC)

【成長の階段を上る人々、下る人々――】

 現職のころ、子どもたちによく語ったのは、次のようなことです、
「キミたちは去年の今ごろに比べたら、ずいぶん身体も強くなり、心も豊かになり、そして知恵や知識もついてきたと、そんなふうに感じることができるよね。当たり前だよね。だから普通に行けば来年はさらに身体が強くなり、心ももっと豊かになり、知恵も知識もずっと増えているはずだ――そんなふうに考えることができる。それは当たり前すぎて、たぶんキミたちはほとんど考えたこともないのだろう。当然のことだ。それが子どもだからだ。

 ところが私たちは違う。
 私たちは体も心も知識も、去年より優れているなどということはまずありえない。体と違って、心や知識なら、豊かにしたり増やしたりできるのじゃないかと思う人もいるかもしれないが、なかなかどうして、年を取るとむしろ心が狭くなったり、頑固になったり、意地悪になったりすることもあるのだ。
 新しい知識も入れる端から忘れられていく。覚えるより忘れる方が多かったりするから、去年の自分より今年の自分の方が優れているなんて、とてもではないが言えない。ダメになって当たり前。去年より今年の方がダメだから、来年はもっとダメになっているだろう、それが私たちだ。去年と同じだったらむしろ凄すぎる。
 
 だから子どもたちよ。キミたちが今、気にもしないでいるその当たり前のこと、今日までと同じように、明日の自分もどんどん良くなっていくだろうというそのことを、こころから大切にしよう。いつかそれは止まる。その止まる日まで、成長の階段を精一杯、昇っていくことにしよう!」

【あるうちは意識しないのに、なくなると目に見えてくる――】

 あるうちは誰も意識しないのに、なくなると急激に意識されるもの――空気だとか親だとか自由だとか、さまざまに言われますが、日常生活の中にもたくさん潜んでいます。

 ひと月ほど前の「X(旧ツイッター)」に、重篤な病気の若者がこんなことを書き込んでいました。
「健康というのは、身体のことを考えずにいられる状態」
 その人は数日後にはアイスクリームを数口食べるのが精いっぱいの状態に陥り、「X」はいつの間にか更新されなくなりました。おそらく今後も更新されることはないでしょう。
 
 私も重篤な病気に罹って命を諦めかけたことがありますが、とにかく嫌だったのは、朝おきて、あるいは深夜に目覚めて、最初に頭に浮かぶのが病気のことだという点でした。トイレのために起きても「トイレに行きたい」よりも先に「病気」のことが浮かびます。家族のことも仕事のことも、短いかもしれない行く末のことも、考えるのはそのあとの話です。
 健康というのは自分の身体に無頓着でいられることだというのは、だから至言なのです。
 
 さらに考えていくと、その言葉は形を少し変えて、さまざまな局面で使えることがわかります。例えばこんなのはどうでしょう?
 経済的豊かさとは、明日の生活費を計算せずに済むこと――。
 幸せとは、幸せを追求しないでいられる状況――。
 満ち足りた生活とは、不満について忘れていられる状態――。

【何も考えずに来られた幸せと厄介な老後】

 30歳で教員になり、35歳で結婚し、36歳の年と40歳の年にそれぞれ一人の子をもうけ、60歳で定年退職をして10年間、母親の介護をしてきました。その間、特に30代から50代半ばまでは馬車馬のごとく職場で働き、それと同じくらい家庭人としても働いて息つく暇さえないありさまでした。
 目の前の問題をかわすのに精いっぱいで、先のことなど考えず、いや本質的な意味では「今」のことさえも考えずに走り抜けてきたみたいなものですが、それは考えずに済むほど恵まれていたことの証左に他ならないのかもしれません。
 
 仕事は、私を変化させ成長させてくれるすばらしい冒険譚なのに、給料までいただけます。その給料は忙しすぎて遊ぶ暇もないので、大した額ではないけれど放っておいても自然に貯まります。明日の生活費の算段をすることもなかったから、結局は経済的には豊かだったということでしょう。
 幸せになりたいと思ったことは一度もありませんし、不平も不満もため込むことはありませんでした。つまり、幸せで、満ち足りた生活だったということです。
 
 良き人生でしたが、終わらせ方にはまだまだ工夫が必要なようです。いまは馬車馬のように働いているわけではなく、考える時間がたっぷりあります。その分、考慮しなくてはならない要素が次々と浮かんで厄介です。
 中学生や高校生のころ、受験日に丸を付けてそこから逆算して「あと◯◯日」と書いて目標にしたのと似ていますが、◯をつける日さえ分かっていないのです。
(この稿、終了)
 
(追記)
 大型連休後半、がんばって遊びましょう。