カイト・カフェ

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「死ぬ間際でも、なくては困るもの、なくてもいいもの」~年寄りは判断の要素に《終末》を加える①

 築30年の我が家も年を取った。
 その修復はどこまですべきか――。
 私も年を取って先行きが見えて来た。
 家の修復はその私にとって意味あるものなのか―― 
という話。(写真:SuperT)

【家も年を取った】

 前々から気になっていたのですが、自宅の裏に設置した灯油タンクに薄く赤い粉を撒いたような錆が浮かんできて、よく見たら隅の方では本格的に広がっている様子も見られました。おそらく錆を剥いで防錆材を塗布し、その上から塗装し直すのが一番の対応で、今からしておけばまだ20年か30年はもつものなのかもしれません。もっとも内部の様子は分かりませんから、案外腐食が進んでいて、外を塗り直す価値のないものという可能性もあります。漏れがあるわけでもないので買い直すのももったいない気がしますし、どうしたものか、迷うところです。
 そんなふうに迷いながら眺めていたら、どうやら地盤の柔らかなところだったらしく、タンクの向かって右側がやや地面に沈み込んでいることにも気づきました。道路から見えるものなので、あまりいい加減なことはしたくありません。そこで大昔に買って植木鉢の棚に使っていたコンクリートブロックを5個ほどタンクの下に積み上げ、そこに自動車用のジャッキを乗せてそれで持ち上げ、脚の下に砂利を詰め込んで水平に直します。そして思うのは、やはり塗り直した方がいいだろうな、ということです。

【木々も朽ちていく】

 門柱から玄関に向かう通路の両側に植えた、おそらくヒバの仲間だと思うのですが、4本の植木のうち、門柱側の左右1本ずつが枯れてしまいました。残った2本にも勢いがなく、2~3割の葉が枯れたようになっています。これを復活させるのは簡単そうでもありません。
 枯れた二本は手の施しようがないので根元で切って外したら、かろうじて生き残っている2本もほんとうにみすぼらしい姿になってしまい、こちらも迷うことなく切るしかなくなりました。4本すべて切り取ったわけです。しかし切ったあとがすっきりと美しくなったわけではなく、ヒバを避けて陽の当たる方へ枝を伸ばしていたサツキがみっともない根元を曝したりしています。どちらにしろ、美しかったころの風情は取り戻すことはできません。
 そして問題はここからなのです。

【死の間際でもなくては困るもの、なくてもいいもの】

 財産にはさまざま分類があるようですが、「死ぬまで持っていた方がいい(持っていなくてはいけない)もの」と「なくなってもかまわないもの」とで分ける方法もあることに、最近気づきました。
 灯油タンクはまさに前者です。もちろんなくてもその都度ポリタンクで灯油を購入してもいいのですが、私の住む地域ではさまざまな理由から200リットル以上のタンクを設置するのが一般的です。これがなくなると生活は著しく不便になりますから、私が死ぬときも、外に設置されたままのはずです。
 家を引き払って施設に入る、あるいは子どもの家に同居するといったことがない限り、テレビも冷蔵庫も洗濯機も、古くなったり壊れたりしたら修理するなり買い替えるなりしなくてはなりません。

 それに対して、“植木”は「なくなってもかまわないもの」の類で、趣味の道具や現職のころ使っていた物品や資料、買い集めた書籍の大部分も、同じ仲間でしょう。なくなってもかまわないものですが、整理する必要性も時間なく、置いておく場所もあったので残ったものです。
 しかし生活の必需品でなくても、心理的な必需品であるものも少なくありません。そうした家のしがらみを、どう扱って行けばいいのか――。

【判断の要素に「終末」が加わる】

 私の言いたいことは次の2点です。
 ひとつはこの家に越してきてちょうど30年。さすがに家も年を取ってあちこち手を入れなくてはならなくなったということ。
 もうひとつは、それにも関わらず家主である私の方は寿命が見えて来て、修理したり買い直したりした方がいいのか、壊れるに任せ朽ちるに任せた方がいいのか、とても難しい話になっているということです。

 若いころのように、必要だったら買えばいい。壊れたら買い直すか修理すればいいという訳にはいかないのです。
 例えば買って11年目、走行距離が間もなく19万kmを越える自家用車。10年前なら迷わず買い替えています。しかし今はどうか――。
 数百万円の買い物をして、運転できたのはわずか2か月だけ、ということも大いにありそうです。さりとて明日、突然車が故障して動かなくなる、という可能性もないわけではありません。とりあえず現段階では、車が使えなくなるのはとても困ります。
 それが年寄りの置かれた状況のひとつです。考えることいちいち「終末」という厄介な要素が付きまとうのです。
(この稿、続く)