カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「先生たち! もっと部活をやろうよ!」~と、言える時代がくればいいのに

 部活動の黎明期、教師たちは今よりずっと自由で暇だった。
 だから子どもたちにもスポーツをさせたがった。
 それが部活動の原点だ。だから本当は部活動の外部委託ではなく、
 先生たちが部活動をやりたくなる学校にすればいいのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【子どもたちにスポーツをさせたくてしかたなかった時代】

 かつて中学校で「資料室係」という校務分掌を任されたことがあります。おそらく誰が担当しても大まじめに対応しない、「主任」の頭数を揃えるためだけの係だったと思いますが、私はけっこう面白がってときどき資料室に入り込み、あれこれ調べたり整理したりしたものです。そういう仕事が性に合っているのです。

 中でも面白かったのが当番日誌で、ほとんど1行日記ですから読みごたえはないものの、すでに大昔になくなってしまった行事や、“なんでこんなことを始めてしまったの?”と首を傾げるような出来事がいくつもあって、それはそれでけっこう楽しめるものでした。当番の氏名を見ると後に結婚することになる若いふたりが一緒に巡回していたりして、
「この日ふたりは校内巡視をしながら、何を話し、何をしたのだろう」
と不埒な想像をするのも面白かったものです。

 そんな挿話のひとつに、放課後、いやがる生徒を何人か残して、一緒に野球の試合をして楽しんだといった話が記されていました。昭和30年前後のことかと思います。
 嫌がるといってももちろん楽しむ子もいて、さらに積極的にやろうという生徒も教師もいて、それが部活動の発祥あるいは部活勃興の下地だったように思います。
 教師がまだまだ田舎のトップエリートで、文武両道、スポーツにも長け、自分自身も体を動かしたいし、子どもにもスポーツを愛する人間に育ってほしいと願えた時代、そして放課後にたっぷり余裕のあった時代です。
 それがいつしか学校対抗をもくろむようになり、市内大会が始まり――私が中学校生活を送った50年ほど前には県大会まで発展し、しかしそれ以上の対抗戦はありませんでしたから練習もそこそこでした(とは言っても大会直前には午後8時過ぎまでやっていましたから、過熱と縁がなかったわけでもありません)。

【先生たちが部活を心待ちにできる時代へ】

 現在、教員の働き方改革の最優先事項として部活動の地域移行が問題とされていますが、正直に言って私には残念でたまらないという気持ちがあります。それは楽しかったからです。
 選手としての経験のまったくないバレーボールの顧問が中心でしたが、自分が努力して成長した分、部員たちも同じように伸びていくのが面白くて仕方なかったのです。

 もちろんそれも今から30年以上も前の話で、当時の教師も忙しかったとはいえ、今とは比べ物にならない時代の話です。総合的な学習の時間もなければキャリア教育もなく、コンピュータに関する指導もしなくて済むし、通知票や指導要録の記述欄も総合所見だけ(に近い)という時代です。不登校もいじめも、今ほどには問題とはなりませんでした。
 
 教師の働き方改革といっても、もはやこれほど巨大になった部活動を、そっくり地域に移動するなど夢物語です。気がつけば「地域移行」も「外部委託」だけの話になってしまい、土日休日のみの、金で済む話に矮小化されようとしています(しかもごく一部の部活でしか達成できない)。
 だったらできもしない地域移行はこの程度にして、教員の仕事内容を(昭和30年前後とまではいわないもの)平成以前にまでもどし、教員自らが《部活動くらいならやってもいな》と思える状況を生み出す方がまだ可能性があるように思うのです。先生たちが楽しんでできるなら、それもいいじゃないですか。
 
 しかし政治家や文科省にとっては先輩たちが営々と積み上げてきた学校の教育内容、一部なりとも減らすのは、それはそれで容易でないこともまた事実です。