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「昔の教師は時間外労働をけっこう楽しんでやっていた」~教職はやりがいのある仕事か?②

 官僚を目指す若者が減って、将来に不安の影がさしているという。
 無理もない。官邸主導でやりがいが奪われ、過重労働だけが残ったからだ。
 そこで気づいたのだが、教職の不人気も単なる過重労働だけでなく、
 やりがいが奪われてしまったからなのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

霞が関でも若者が消えている】

 「教職は果たして今でもやりがいのある仕事なのだろうか」
 この疑問がわいたのはつい先日、ネット・ニュースで次のような記事を読んだからです。
 「ブラック霞が関」で官僚離れ深刻、国会答弁打ち合わせ「朝4時」開始も背景
 中で元官房副長官で慶応大の松井孝治教授という方は、
「公務員離れに歯止めをかけるため、国会対応を原因とする長時間労働によって、官僚を疲弊させる現状を改めることが大前提だ」
と指摘したと言いますが、霞が関長時間労働など最近はむしろ良くなったくらいで、かつて深夜12時過ぎの大蔵省(現財務省)前には、タクシーの長い列ができていたといいます。終電などとうに終わった時刻に庁舎を出て、朝は定時に出勤するような官僚がいくらでもいたということです。
 国家公務員ですから当然給与は安く、同年配で民間に行った人々に比べたらその生活は慎ましい限りでした。しかしそれでも東大の法学部の、さらに成績上位者だけがようやく合格できるような国家公務員上級試験に挑戦しようという人が、昔はいくらでもいました。
 何よりも官僚には「自分の手で国政を動かすことができる」「指先ひとつで正義を実現できる」という、普通の人には味わえない醍醐味があったからです。もちろんそこには、最終的には天下りによって生涯年収がほぼ民間と同じになるという目算もありましたが、薄給にも激務にも耐えられる主因は国を動かせるという――権力とはそれほどに魅力的なもののようです。

脱官僚政治――失われた生きがい】

 ところが安倍晋三政権下で人事の根幹を官邸が握るようになって、事情はガラッと変わってしまいました。官僚が政権の顔色を窺わなくてはならなくなったのです
 昔は官僚が政治家の思いを忖度するなどなかったのです。慮ることはあっても、それはどう都合よく国会議員を転がすかという作戦上の“読み”でしかありませんでした。
 ところが今の官僚の課題は「政治家の思いをどう実現するか」だけなのです。自分で何かをすることはできません。しようとすればあっという間に手足をもがれてしまいます。
 政治家の言いだすことにはとんでもなくくだらないものもあれば、将来に禍根を残すことが明らかなものもありますが、それでも政治家の意思は国民の意思、具体化するのが官僚の仕事です。時には政治家自身が具体的なイメージを掴めない、あるいは口に出して表現できないこともありますから、そこまで先回りして実現しなくてはなりません。“忖度”がはびこるのはそのためです。
 
 庶民からすれば百年の大計のできる政治のプロの官僚より、ド素人で近視眼的、有権者の顔色ばかり窺っているポピュリスト政治家の方がいいとは必ずしも言えません。しかし「選挙で選ばれた政治家ではなく、省庁内部の事情でのし上がってきた官僚が国を動かしている、それがマズイ」とする官僚政治批判の論理は正論です。
 こうしって現在の官僚機構は「政治家の公約や理想を実現する仕組み」という本来の姿に立ち返り、職業としてはすっかり面白くないものになってしまったのです。
 これでは受験者が減って当たり前です。やりがいがなくなって過重労働だけが残れば、志望者が減るのは当たり前です。

 そうです。
「やりがいがなくなって過重労働が残れば、志望者が減るのは当たり前」
 自分で言って自分で感心するのも変ですが、官僚だけでなく教員のなりてが減ったのも、単に時間外労働が多くて苛酷なためではなく、やりがいそのものがなくなったからではないか、そんなふうに考えたのはこのときです。

【昔の教師は時間外労働をけっこう楽しんでやっていた】

 そう思って振り返ると、教員が忙しいのは今に始まったことではないことに気づきます。私が小学生だった今から半世紀も前の1960年代でも、「提灯学校(いつまでも灯りがついていて消えない学校)」という言葉があり、「提灯」というからにはさらに遡って学校に電灯の入る以前――明治・大正の昔から、教師は夜遅くまで学校に残って仕事をしていたようなのです。
 
 かく言う私も昭和末期から平成の大部分を教師として過ごしてきて、余裕のある時期などほとんどありませんでした。
 独身時代は9時前に学校を出ることはなく、家族を持ってからは持ち帰り仕事が大部分でしたが、夕方は7時まで学校にいて2時間の超過勤務。そこからおよそ3時間分の持ち帰り仕事を抱えて家に帰り、朝は7時までに出勤して1時間の時間外勤務。締めて毎日6時間は時間外労働をしていたのです。週日分だけで月におよそ120時間。それ以外に土曜日は半日日課なので8時間、日曜や休日は5時間ほどの時間外労働をしていましたから一カ月の総時間外労働は180時間近くにもなっていたはずです。しかし今ほど苦しくはなかった。楽しかった、面白かったし、やりがいもあった――。
 
 現在と違って総合的な学習の時間もキャリア教育も、教員評価も学校評価も、全国学力学習状況調査もなく、長期休業の大部分は「自宅研修」と申請して、あとは部活と好きな勉強だけをしていればよかったのですから余裕もありました。学期中、夜遅くまで学校に残っていたのも、たいていは授業や行事の準備のためで、それらは創造的で面白く、楽しかったという面もあります。
 しかしあの過酷な労働に喜びを持って耐えられたのは、そうした余裕のせいだけではなく、仕事に日々、やりがいを感じていたからだと今は思うのです。

(この稿、続く)