カイト・カフェ

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「学校の仕事は、増えこそすれ減ることは絶対にない」~私の“教員の働き方改革”案④

 学校の仕事は、増えこそすれ減ることは絶対にない。
 なぜなら、学校にもたらされるものはすべて「善きもの」だからだ。
 したがって問題は人員増でしか解決しない。
 しかし少人数学級編成は最悪の選択で、教師は楽にならない。
という話。  

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(写真:フォトAC)
 
 

【「総合的な学習の時間」をなくしてください】

 本年度新規採用の先生方のツイッターを見ていたら、「総合をなくしてほしい」というツイートがあって笑ってしまいました。このさき2年も3年も教員を続けたら、なくなってしまう瑞々しい感性です。
 そうなのです。あんなものなくなってしまえばいいのです。昭和の教育に「総合的な学習の時間」などありませんでしたが、それで困った様子もないのです。「総合~」で子どもが飛躍的に育ったという話も聞きません。

 「総合~」は悪名高い「ゆとり教育」とともに学校にもたらされたもので、「ゆとり~」が非難の十字砲火を浴びて撤退したときに置き忘れた鬼子なのです。「総合的な学習の時間」を十分に活用させるために他教科の内容を大幅に削減したにもかかわらず、減らした内容が学力問題で戻ってきても、増やした「総合~」はそのままでした。だから忙しくなるのも当然です。

 昔の話をすれば教師は制度変更のたびに慌てふためきましたが、合わせるのがあまりにも大変で慣れるに忙しく、制度そのものに反対したり非難したり、撤回を求めたりする余裕がまったくありませんでした。そこで唯々諾々と従わざるを得なかったのですが、その点で採用されたばかりの初々しい感性は、カリキュラムの不条理を的確につかんだとも言えます。「総合~」は素晴らしい試みですが、学校が担うには高邁すぎて過重なのです。

 また、キャリア教育など「総合~」以外の追加教育も教員の生活を激しく圧迫していますから、すべて撤回していただき、せめて昭和後期のレベルまで引き下げていただきたい。
 そうしないと“教師のなり手がいない”という新たな教育崩壊が始まってしまうのかもしれないのです。

 では今後それらの追加教育は、一部でも撤廃される可能性はあるのでしょうか?
 
 

【政府が学校に持ち込んだものは絶対になくせない】

 私は、その可能性はまったくないと考えています。なぜなら追加教育のすべては「良いこと」「必要なこと」だからです。良いことはなくせない、それが世の習いです。
 新たな追加教育は今後も増える一方でしょう。それを社会が希望し、ポピュリストの政治家がいちいち拾い上げる限り。

 例えば、少子化問題について政治家も行政も、
「これからはすべて子どもを親に任せるのではなく、社会全体として育てていかなければいけない」
などといいます。まったくもってその通りです。しかし現在の日本社会で、子育てを組織的・計画的・継続的にやっているのは保健所を始めとして保育園・幼稚園、学校だけなのです。公民館活動も民間の施設もありますが、その規模はとても小さい。したがって「社会が育てる」は、具体的に言って「保健所・保育園・幼稚園・学校がこれからもがんばります」という意味でしかありません。

 しかも教職は俗にいう「定額働かせ放題」で本給の4%(全国平均で月1万4700円程度)を支払えば、何十時間でも時間外労働をさせることができます。教育内容を追加しても予算を追加する心配は少しもないのです。

 ここにきて教員採用試験の倍率が極端に落ちている、浪人をしてまでも教職に就こうという若者が減って講師の手配がつかない、そういった問題が顕著になり、初めて政府も動き出しました。しかし「ほとんど予算づけせずに実施できる教育政策」というウマミを、政治家が手放すとも思えません。
 では、どうしたらよいのか。
 
 

【学校問題は人手不足だと社会に知らしめよ】

 私たちは「(部活も含め)学校の仕事は増えこそすれ、減ることは絶対にない」ということを前提にものを考えなくてはいけません。「部活を何とかしろ」「『総合的な学習の時間』をなくせ」等を言い続けることは時間のムダですからやめましょう。何を訴えても教育内容を減らすことあできません。

 その上で何を要求するのかというと、
「定数法(正しくは「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」)を改正し、教員を増やせ」
ということです。
 すると政府はこんな返答をするはずです。
「そんなことは今やっているじゃないか。今年(令和3)3月31日の改正法によって、小学校では段階的に35人学級を実施し、令和7年までにすべての学年が35人学級になる。そのために新たに雇う教員の数は1万3千人あまりだ。それを中学校まで広げろというのか?」

 しかし私は1学級の人数の上限を下げることで教員を増やすことにはあまり意味がないと考えています。
 なぜなら新たに雇われる1万3千人のほとんど全員が、担任として算数や国語に加え、「総合的な学習の時間」も「特別の教科道徳」も、「小学校英語」も「プログラミング学習」もその他の追加教育も、全部ひとりで指導しなくてはならないという今の教師が背負っている苦しみを、同じく背負わなくてはならないからです。
 幾種類もの教科・追加教育の、教材研究をして指導案を作成し、その上で授業を実施する大変さは、教室の児童が40人から35人に減れば楽になるというものではありません。

 中学校も同様で、どれほど学級の生徒が減っても、ひとりの学級担任が専門教科以外に「特別の教科道徳」も「総合的な学習の時間」も「特別活動」も「追加教育」も「部活動」も、全部指導しなくてはならないという大変さは変わらないのです。

 学校の背負っているものを減らすことなく教員の過剰労働を解消するためには、教員数を増やした上に少人数学級編成以外の、別な方策を考えなくてはなりません。
 私には案があります。

(この稿、続く)