カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「やりがいとはなにか、AIに訊いてから考えてみた」~教職はやりがいのある仕事か?③

 AIに言わせると「やりがい」とは、
 仕事や活動において達成感や満足感を感じることを指すのだそうだ。
 確かに学校現場にはそれを手に入れる機会がいくらでもあり、
 かつては好きなだけ「やりがい」を享受していた。
という話。(写真:フォトAC)

【やりがいとはなにか、AIに訊いてみた】

 「教職はやりがいのある仕事か?」を問う前に、(まるで中学生の作文みたいですが)とりあえず「やりがい」とは何なのかを定義しておく必要があります。そこで、「辞書で調べると――」の代わりにチャットGPTに訊いてみると、今年初めて納得のいく答えを返してくれました*1
 
 「やりがい」という言葉は、日本語の表現であり、仕事や活動において達成感や満足感を感じることを指します。具体的には、自分の能力や努力を活かして難しい課題や目標を達成することによって生まれる、充実感や喜びのことを指します。
 「やりがい」は、個人の主観に基づく感じ方であり、人によって異なる場合があります。一般的には、以下のような要素が「やりがい」を感じる上で重要な要素とされています。
 目標の達成感: 困難な目標や課題を克服し、成果を得たときに感じる達成感や充実感が、「やりがい」として感じられます。
 成長やスキルの向上: 自分の能力やスキルが向上し、成長できる場面での活動は、「やりがい」と結びつきます。
 貢献感: 自分の仕事や活動が他人や社会に対して価値や貢献をもたらすと感じることも、「やりがい」として重要です。
 自己実現: 自分の能力や才能を存分に発揮し、自己実現を感じられる場面は、「やりがい」として喜びをもたらします。
 「やりがい」は、仕事に限らず、学習、趣味、ボランティア活動など、あらゆる活動において感じることができる概念です。自分自身が何を重視し、何に喜びを感じるのかを考えることで、より充実感のある人生を送ることができるかもしれません。
 
 いいですねぇ。
*1 今年初めてということはGPTと付き合うようになってから初めてということです。なんか、同じことを繰り返しているなといった感じもありますが。

【自分の仕事や活動が他人や社会に対して価値や貢献をもたらすと感じること】

 教師のやりがいの源泉は、いうまでもなく児童生徒との相互関係から生まれてきます。
 子どもたちが自ら成長したいと願い、そこに教師が関与して目標が達成される――教師のやりがいはそんな場所に発生します。
 
 例えば昨日まで逆上がりのできなかった子が、先生のちょっとしたアドバイスや自作の道具、あるいは時間外の指導によってできるようになる。子どもはうれしくて、うれしくて何回も回っているうちに、できなかったころの自分が思い出せなくなる――。その子はきっと家に帰って大声で母親に報告するに違いありません。
「お母さ~ん、ボク、逆上がりができるようになったんだよ!」
 母親も手を打って喜びます。しかしこのとき、「先生のおかげでできるようになった」などと言う子どもはまずいません。母親の方も「きっと先生がこの子のためにがんばってくれたのだ」などと想像することはないでしょう。
 
 教師はしかしそれでいいと思っています。大切なのは逆上がりができるようになることではなく、自分の意志で鉄棒に向かい、なんど失敗しても諦めることなく、ついに自らの力で成し遂げたという体験をもつことなのです。教師の存在などどこにもなくてけっこう、むしろ邪魔です。ひとりでできた、そこが大事だ――そう考えて教師は人知れず微笑むのです。
 こうした喜び、達成感・充実感は教育の最も本質的な“やりがい”部分で、おそらく昔も今も、この点はそれほど変わってはいないはずです。

【困難な目標や課題を克服し、成果を得たときに感じる達成感や充実感・自己効力感・有能感】

 教師には教師らしい特別の技能があります。
 例えば、教育の最前線での日常的な難問題、

  1. (児童生徒が)先生! なんでボクたちはこんなに勉強をしなくてはならないのですか?
  2. 先生! どうしていつも私にばかり用を言いつけるんですか!
  3. (教師である自分に向かって)お前なんか大嫌いだ!
  4. (保護者が)ウチの子は小学校のときから算数(数学)がまるでできません。他もいいわけではないのですが数学はあまりにも惨めで・・・。どうしたら数学の成績を上げることができるのでしょう?
  5. 先生! もう10時を過ぎているのに娘が帰ってきません。同級生のAちゃん(女の子)と一緒なのは確実ですが、どうしたらいいのでしょう?

 こうした問題に即座に自信をもって答え、相手を納得、あるいは満足させた上で黙って引き下がらせることができたら、その充実感・達成感・自己効力感・有能感はやはり半端ないでしょう。そのうえ自分の回答がその後も児童生徒・保護者に良い影響を与え続けることができるとしたら、まさに「有頂天」です。
 
 こうした技能を獲得することは、実はさほど難しいことではないのです。いつも申し上げている通り教職は職人芸ですから、10年も真剣に修行すれば普通の人ならこの程度の問答が難なくできるようになります。10人中9人まではそうだと、私は保障してもいいと思っています。
 ただ、新人の間は辛い。5年目あたりでもかなり苦しい、そういった現状はあります。

 私は教職5年目くらいの1学期慰労会で、他学年担当の大先輩の先生に呼びつけられ、
「Tさん(私のこと)は生徒と勝負していない、大事なところで逃げてばかりいる」
と説教されたことがあります。よほど腹に据えかねたのでしょう。しかし逃げてばかりいることに自覚はありましたが、自分の頭で浮かぶことはすべてやったあとなので、勝負するとはどういうことか、生徒に何を言い、反論をどう打ち負かし、何をさせればいいのか、そういうことがまったく分からなくなっていたのです。やりがいどころではありません。手も足も出ないのですから――。

 しかしそれもさらに5年ほど経つと、生徒に絡まれることが待ち遠しいほどにいろいろが分かってきます。ああ言われたらこう返せばいいのです。そうなると学校は楽しく、面白く、やりがいのある、それだけ場となってきます。
(この稿、続く)