昭和の教師たちが開発した指導の武器は次々と奪われ――、
それなのに求められる指導の質は爆発的に高まった。
その要求に彼らは応えられない。
そして代わりもいないのに、教師たちは見限られていくのだ。
という話。(写真:フォトAC)
【武器は奪われ、バーは上がる】
昭和の教師には指導上のさまざま武器がありました。
当時の教師は児童生徒を呼び捨てにしましたが、これはどちらが主体でどちらが従うべきものかを、常に表示するという意味で重要な道具でした。教育を動物の調教と同じ地平で話すと必ず猛反発が来ますが、犬でもサルでも、何かを仕込もうと思ったら最初にする仕事はどちらが「主」でどちらが「従」かを教えることです。
これに失敗するとサルは一生檻の中ですし、人間を噛んではいけないという躾を受け入れることのなかった犬は、最悪の場合、殺されます。
教師は一段高い位置にいて「子どもを引き上げる」のが使命で、そのために高い教養や知識が求められましたが、今は「支え援(たす)ける」のが仕事ですから、子どもより低い位置で、むしろ隠れるようにしていなくてはなりません。子どもがバカにするのも無理はありません。
体罰や精神罰も昔の教師の有力な武器でした。
もちろん体罰や精神罰で子どもが良くなるはずはなく、罰せられた子はしばしば下を向いて耳を塞いでいたり復讐心を燃やしていたりしましたが、それを見ている子たちには効果がありました。
“絶対にあんなふうにはなりたくない”
そんな思いから教師の話をしっかり聞くようにするのですが、そうしてみると教師は案外ためになるいい話をしていたのです。昔の子どもは先生の話をよく聞きました。話を聞いてもらわないと教育は始まりません。
いい悪いの問題ではありません。昭和はそういう時代だったというだけの話です。
【子どもの心が見えなくなる。指導の八方が塞がる】
昔の学校には子どもの心の揺れを感知する装置が山ほどありました。制服や髪型や、その他こまごまとした校則がそれです。
勉強やスポーツなどに打ち込んでいる子どもにはファッションなどに気を取られている暇はありません。かりに興味を持ったとしても、学校と対立してまで意思を通すのは時間の無駄だと思っています。他にやりたいことがたくさんありますから。
ところが学業から気持ちの逸れた子は、ほぼ必ずといっていいほどに服装や髪型に仕掛けをしてきます。それが「心のサイン」です。目に見えない心の様子を形が示すのです。「服装の乱れは心の乱れ(を表す)」とはよく言ったものです。
しかしそれも学校は奪われようとしています。服装のきまりなどなくても、よく見ていれば子どもの心の揺れは分かるはずだと言います、プロなんだから。よく見ている暇はないのですが――。
さらに、指導の結果も多様化しました。
昔は教師が何をやっても、子どもが家庭に引きこもる心配などありませんでした。ましてや子どもがいじめで自殺することなど、ありえないと考えていました。さらに、教師の「不適切な指導」による自殺=「指導死」となると、思いつきもしませんでした。そしてここに至って、学校は身動きが取れなくなります。
いじめを軽く扱って被害者が死ぬのも困りますが、強く出すぎて加害者が「指導死」するのも困ります。どこに「適切な指導」のレベルがあるのか、知る人はいません。
【教師の質:絶対的には大きく伸びたが、相対的には下がった】
呼び捨てや体罰・精神罰を、元に戻せと言っているわけでも懐かしんでいるわけでもありません。そんなものはない方がいいに決まっています。私が言いたいのはそういうことではなく、昭和の時代は武器がたくさんあったから、大した人物でなくても教師が勤まったということです。
教師の質が落ちたなんて言いますが、ざっくり言って令和の教師たちは、昭和末期に教員になった人たち(例えば私)より、1・5倍は優秀です。なにしろ子どもたちを「さん」づけで呼んで異常に大切にしながら、体罰・精神罰といった武器もなく、言葉だけで正しい方向に向けようとしているからです。
一方、学校が抱える困難は、この30年間に2倍にも3倍にもなってさらに複雑化し、より高い成果が求められるようになっています。困難が2倍~3倍なのに教師の能力が1・5倍にしかならなかったとしたら、やはりそれも教師の質の低下なのかもしれません。
第一回東京オリンピック(1964)で日本の女子バレーボールチーム(東洋の魔女)はロシアを破って金メダルを獲りました。第二回東京オリンピック(2021)は10位でに終わりました。だから第二回女子チームは弱い、東洋の魔女にはまったく勝てないという人はひとりもいないでしょう。それと同じです。
【人知を超えた指導が求められ、応えられない教師は見捨てられる】
教職は果たして今でもやりがいのある仕事なのだろうか。
――子どもの成長を見守るという意味では、今もやりがいのある仕事です。しかし昔のように大胆で野心的な試みのできる場ではなくなっています。
親どころか本人でさえも制御できなくなった「子ども自身」に、割って入って力づくで押さえるような生徒指導が私は好きでした。感謝もされました。だれかが抑えてやらなければ、その子は止まらない、止まれないからです。
「道徳は、ひとの心に手を突っ込んで作り直すようなものだ」
――だから私は道徳の授業が好きでしたし、いつも熱心に取り組みました。
困っているのは本人だけではありません。時には保護者も本当に困っている。なにしろ子育ても教育も生まれて初めてで、何をどうしたらいいのか分からないのは、教師になって最初の数年間の私自身と同じだからです。ですから何とか助けてあげたい。可能な限り分かりやすい言葉で、有効な手助けをしてあげたい――それがいつもの願いでした。
しかし今はそういうわけにはいかないのでしょう。子どもや家庭に手を深く入れすぎて手ひどいやけどを負った教師はいくらでもいるからです。
ニュースの見出しを見てみましょう。昨日のYahooニュースの教育に関わる全項目です(記事を読めという話ではありません)。見出しを読むだけで、教師がいかに間抜けで惨めで、能力もなければ下品な生き方を続けているのか――世間からそう見られていると、分かりそうなものです。どんなに頑張ってもこんな評価しか受けなくなった教職が、やりがいのある職業であるはずがありません。
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これで過重労働なのですから、辞める人が多く、志願者の少ないのも当然です。
(この稿、終了)