カイト・カフェ

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「PTAは死なず、ただPが消え去るのみ」~PTAをなくす学校が出てきた①

 近隣の学校でPTAが解散になったという。
 恐ろしいことだと私は思う。
 学校にはPTA会費やPTAの人手をアテにした活動が山ほどある。
 それをなくしてどうやって行こうというのだろう?
 という話。(写真:フォトAC)

【何もしなくて咲く花はない】

 むかし勤めていた学校の職員室で、向かいの席にいた先生が窓辺の花鉢を手に取って、
「T先生、この花、すごいんだぜ。何の世話をしなくてもホラ、こんなに花が咲いた」
 私は少し迷いましたがニッコリ微笑んで、
「そうですか。すごいですね」
と返してその場を後にしました。応えが一瞬おくれたのは迷いがあったからです。実はその花は「何の世話をしなくても」咲くようなものではないかもしれないからです。私は植物に疎く、花の名前も世話の仕方も知らなかったのですが、窓辺に置いてあるその花を、いつも細かく面倒を見ている先生のいることを知っていたからです。斜め向かいの女の先生で、さりげなく様子を見て、土が乾いているようなら必ず水をやり、枯れた葉があると取って形を整えていました。たぶん植物がきれいな花を咲かせたのはそのおかげです。

 世の中には善行を施して絶対に見せない人がいます。まるで人に知られると行いの価値が減ってしまうと思い込んでいるごとく、行為の跡を消さずにおかない人です。他人の鉢の世話をしてさりげなく花を咲かせてしまった先生にはそこまでのこだわりはなかったようですが、敢えて知らせる気持ちもないみたいでした。そこで私も黙っていることにしたのです。

【学校からPTAがなくなっていく】

 話は変わりますが、私の母が住む地域の中学校がPTAを解散してしまいました(中学校を卒業した後で引っ越した地区なので、私の出身校ではありません)。
 その話を新聞で読んで妻に話すと、
「大英断ね、校長先生。誰かしら?」
と言います。
 大英断――、思い切った決断であるのは確かですが、優れた決断かどうかは分かりません。調べましたが校長先生は私たちの知らない人で、解散に至る経緯も分からないままでした。ですから無碍に非難することはできませんが、一般論のレベルで考えると、私が校長だったらどんな苦労をしても、たとえ地域に土下座してでも、PTAをなくすなどといったバカはしなかったと思います。なぜならPTAがなくなることは学校にとって致命的なできごとだからです。

【PTA会費をアテにして行われてきたことはすべてジリ貧】

 新設校でPTAがない状態から始めるならまだしも、創設以来80年近くもたつと、PTA は学校の運営に強く深く絡みついて容易に剥がせません。PTAのあることが前提で動いている部分も少なくないのです。

 例えば入学式や卒業式のステージの生花。新入生や卒業生のリボン。小学校運動会のライン引きのための消石灰の追加購入や万国旗の補修費、中学校の文化祭補助、入試事務補助、等々、PTA会費からいただいている補助金はさまざまにあります。PTA作業のために購入した箒やバケツは終了後、教室の不足分として使われますが、実は最初からそれを見込んで購入し、浮いた予算は別に回しているのです。

 もちろんそれらは公費で購入すべきもので、保護者や教員(PとT)の懐をアテにしていいものではありません。しかし当為(あるべき)と存在(現実)は常に対極にあります。公費で賄うべきだといってPTAを切っても、その分が公費で賄われることはまずありません。ただなくなるだけです。

【PTAは死なず、ただPが消え去るのみ】

 同様にPTA作業でやってもらっていた壁塗りだの側溝の清掃だのは業者に頼むというわけにはいかず、放置されるか先生だけでやることになります。もちろん保護者ボランティアを募れば何人かは集まりますが、ペンキを自腹で買って持ち込めとは言えません。諦めるか、どこかの予算を振り替えてやるしかありません。できる補修や清掃の範囲は極めて小さくなります。
 
 運動会や文化祭のお手伝い、大型研究授業の支援など、これまでPTAにお願いしてきたこともすべてボランティアに頼らざるを得ず、そのつど募集と組織づくり、計画づくりと説明を行わなくてはなりません。人数が足りなければ不足分を各クラスに配当して、保護者ひとりひとりに出席を頼まなくてはなりません。誰が? 何もしなくて咲く花はありません。もちろん担任教師たちが保護者の帰宅を待って、勤務時間外に連絡するのです。
 
 PTAはなくなってもPTAにお願いしていた仕事のかなりのものが残りますから、そこを教師が埋めていく、その意味では「PTAは死なず、ただPが消え去るのみ」とも言えます。
 教員の働き方改革で仕事が減る倍のペースで、教師の仕事は増えていきます。
――教育改革のゴンベが種まきゃ、カラスがほじくる・・・

【市のPTA連合会に席を失う】

 市のPTA連合会(市P)にも席がなくなりますから、市Pを通して教育委員会へ提出していた要望書に名を連ねることもできなくなります。もちろん学校からも直接、要望は出しているのですが、二重三重にあちこちから頼むことが大切なのです。
 仕方ありませんから副校長か教頭あたりが恥を忍んで幹事校に行き、市Pの会長さんを紹介していただいて直接、要望書の隅に自校の課題を差し込んでもらうしかありません。
 どこどこに横断歩道を設置する件についてご協力をいただきたい、地域からの苦情も多いのでバックネットをさらに高くしてほしい、遊具の更新の時期なので予算をつけてほしといった内容です。
 しかし率先して市Pから抜け、血(会費)も汗(活動協力)も流さない学校に対して市P会長がどこまで真剣に取り組んでくれるというのか――。前例をつくられた以上、自分の学校でも「◯◯小学校ではPTAをなくせたのになぜウチはできないのか」と圧力を受けるのは必定です。
 ほとんどありえないことですが、もしかしたら会議の後の宴席で、どこかの学校のPTA会長は”あの学校にだけは便宜をはかるな”と教育長を掻き口説いているのかもしれません。想像の中で不安に怯え、疑心は暗鬼を生み出したりします。
 
 しかしPTAがなくなって最も恐ろしいことは、”保護者”という抽象と学校という具体的(この場合は”学校長”)を結ぶ、「PTA会長」という強力なパイプがなくなってしまうことです。
 (この稿、続く)