「しかしいまも“良い子”を育てたい」~結局、最後は人柄なのだから

 最後は人柄というが、その前にたくさんの選別があるじゃないか。
 人柄よりも容姿や財力の方が重要な世界だってあるじゃないか。
 しかし親や教師が子どもに与えられるものは少ない。
 だから私は、いまも”良い子“を育てたい。
 という話。(写真:フォトAC)

【輪切りの中の人間関係】 

 高校入試の成績が360人中12番でした。
 半世紀も前の栄光を語るのは、以後いかに自慢することがなかったかを証明するようなものですが、話したいのは次のことです。
 それから半年後、2学期の中間試験の成績が265番で、担任は生徒それぞれにB5サイズの順位グラフを作って渡していたのを、私の分だけグラフ模造紙(B版全紙)を細く切ってそこに長~い下降線を記し、笑いながら見せてくれました。屈辱の瞬間でした。
 
 そのとき知ったのは、そもそも入試は成績で輪切りにされた同質の受験生たちなので、1位合格も最下位合格も能力としては大差なかった――点数にしたら5教科で50点もなかったのかもしれないということです。
 だから油断しているとあっという間にひっくり返され、高校3年間の間に順位は固定化され、最後は越えがたいものになっているのです。私もそのあとは超低空飛行――。
 以上が今日の話の前振り。

【就職面接は5秒で決まる】

 十数年前に亡くなった母方の叔父はかつて保険会社の役員で、ある時期、人事の採用担当をしていたことがあったようです。そしてこんな話をしてくれました。
「採用面接なんてね、受験生が部屋に入ってきて5秒で決まるよ」
 挨拶が大事とか容姿がすべてというのではありません。その人の持つ雰囲気、いわゆる第一印象ですべてが決まるというのです。ではその第一印象の正体は何かというと、
「これが言うに言われんのだなあ――」
(何だい、言えないのかい?)
「とにかくコイツと十数年、机を並べてやっていけるのか、やっていきたいのか、そういう感じなんだな」
――それなら何となくわかる気がしないでもありません。もちろんその第一印象を正しく感じ取れるかどうかは担当者の人生経験と能力によるもので、叔父には自信と実績があったのでしょう。だから5秒で決まると言い切るのです。

 私はこの話を「人間、結局、最後は人柄だ」とか「人柄を磨いて、それが第一印象として表面に醸し出されるようになることが大切だ」といった内容として心にとめていたのですが、あるときからちょっと違うなと思い始めました。それが先の輪切りの話と重なるのです。

【人柄の前に試されているものがある】

 叔父の勤めていた保険会社は中堅の企業でしたが、それでもかなり人気のあるところでした。昔の企業の採用試験がどういうものなのか知らないのですが(私は正式に受けたことがない)、書類選考があり会社訪問を受けた社員の一次評価があり、一次試験があり二次試験があり、一次面接がありに二次面接がありと、役員である叔父のもとに受験生が現れるころにはかなり絞られてきているはずです。つまり薄い輪切りの中にいる学生で、その規模の会社としては望みうる最大の能力が試されてしまっている。
 能力だけで決めるならくじ引きだっていいようなところまで行って、その上での「コイツと十数年やって行けるのか、いきたいのかな」なのです。「最後は人柄」には違いありませんが、その前に試されているたくさんのものがある――。
 
 よく考えての結婚というのも似たような経路を取りそうです。
 相手の年齢や社会的立場、容姿、収入や学歴、家族の様子などを、計算高くというよりは無意識に選別して、あちこちに希望通りでない点は残るにしても、最後の決め手は人柄、そんなふうになるのでしょう。
 ただし恋愛は必ずしもそうではない。
「コイツとは、とてもじゃないが何十年も一緒にやって行けそうにない」
――そんな相手でも恋に落ちるときは落ちる(知らんけど)。そんなものかもしれません。

【しかし私はいまも「良い子」を育てたい】

 親として、あるいは教育者として子どもに与えられるものには限りがあります。
 今さら容姿は整形以外に打つ手はなく、能力にも制限がある。大した財産も学歴も与えてあげられないし、社会的立場や収入は本人次第。しかもその本人はおっとりとして出世向きではない――そうなると与えられるのは人柄だけ。
 しかしおそらく、それでいいのです。
 
 私は若いころ、保護者から、
「そんなにいい子ばかり育てて何になる!」
と怒られたことがあります。私の融通の利かなさに苛立ってのことです。しかし私はいまも「良い子」を育てたいのです。

(付録:「12月8日」)

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