サッカー日本代表は残念だった。
いつか決勝を目指すようになり、“8強は当然”となる日が来ればいい。
それと同じで、学習もひとつふたつ上を目指してこそ目標が確実になる。
今の自分のひとつふたつ上でいいのだから。
という話。(写真:フォトAC)
【8強を目指している間、8強は不確実】
ワールドカップ・サッカー、対クロアチア戦、残念でした。録画放送で見ましたが、勝っても不思議のない試合であるとともに、負けても文句の言えない試合だったように思いました。要するに互角だったということです。ただし「8強を目指す」というのはやはりこういうことだな、という思いもあります。
かつてスーパー・コンピュータについて「1位でなくちゃいけないんですか? 2位ではいけないんですか」と叫んだ国会の女傑がいましたが、どんな世界でも1位を目指して2位・3位にもなれない場合がほとんどですから、最初から2位を目指すということになれば5位・6位だっておぼつきません。それが普通です。
サッカーの日本代表としては「8強を目指す」あたりが妥当で現実的な目標だったのでしょうが、そこが最高点だと目標達成の可能性は五分五分以下でしょう。勝っても負けても不思議のないレベル。
次回はぜひ、「決勝を目指す」「4強が悲願」みたいな強いチームに仕立て、軽く8強を達成してもらいたいものです。もちろん8強以上を目指したドイツやベルギーのようなチームでも早々に姿を消してしまう世界ですから、強くなっても勝てない場合のあることは重々承知ですが――。
【100点を取るヤツはやはり偉い!】
つい今しがた「どんな世界でも1位を目指したところで2位・3位にもなれない場合がほとんど」と申し上げましたが、勉強の世界も同じです。例えば高校生が校内で確実に1位の成績を取ろうとしたら、全国模試みたいなところでかなりの上位いないとダメです。自分の高校だけを見ているだけでは1位になれない。全国で10位以内が目標といった高いレベルの勉強をしていれば、ごく一部の高校とよほどの不運がない限り、「校内1位」は外すこともないでしょう。
テストの100点満点も同様。たくさんの子どもを見てきてつくづく思うのは「100点を取る子はやはり偉い」ということです。96点も98点も偉いけれど100点満点は格別です。
100点を目指す学習では、人間はミスをしますからどうしても96点から98点どまり、なかなか満点というわけにはいきません。それなのに100点が取れるという子は、必ず120点も150点も狙えるような学習をしているのです。だから偉い!
【結局は、過剰学習か繰り返し学習が決め手】
古くはプロジェクト法だのコアカリキュラム、問題解決学習、新しいところではアクティブラーニングと、いずれも主体性や問題解決を主題とした学習法・指導法ですが、テストで点数を取れるようになるという意味で定評のあるのは、過剰学習(公文式のような先行学習や常に難問にまで挑戦し続ける学習)と繰り返し学習だけです。
ここまでサッカー日本代表だの校内1位だのと最上位の話だけをしてきましたが、もっと低い、私のような普通以下の世界でも同じで、いま100の力があるなら100で頑張っても大した伸びは期待できません。90や80で勝負し続ければ衰えるだけです。150だの160だのといった高すぎる目標を持って頑張れば壊れます。
そうではなく、常に110か120くらいのところでちょっと背伸びして頑張る、そういう姿勢が個人や集団を高めるのです。
もちろんこれは伸び盛りの話で、私のような老人は100でも壊れる心配がありますから注意は肝要です。