「よく知った歯科医がグダグダ」~その人生に飽きちゃわない?① 

 長く使った差し歯が抜けた。
 そこで長年お付き合いいただいている歯科医に行ったのだが、
 この歯科医、何かグダグダ。ところでこの人、
 どういう気持ちでこの仕事を続けているのだろう?
という話。


(写真:フォトAC)


【よく知った歯科医がグダグダ】 

 親が戦前生まれで放っておいても虫歯にならず、だから歯磨きにも無頓着で戦後は親子してむし歯だらけ――私はそうした親子の子の方の世代です。ですからかなり若い時期から口腔は惨憺たるありさまで、健康な歯はほとんどありません。一番目立つ上の前歯は二本とも差し歯で、うち一本は40年近く前に入れたものです。
 その40年物が、一カ月ほど前にスポンと抜け落ちてしまいました。むしろ40年も、よくもったものだと誉めて上げなくてはなりません。そこで30年来お世話になっている歯医者さんで治療をすることになったのですが、これがかなり腕が悪い――というか、30年も付き合う中で、腕が落ちつつあるのかもしれないのです。

 抜けた歯の根の部分をきれいに削って型を取り、とりあえず持って行った古い差し歯を仮留めしたら、翌週、どんなに叩いても引っ張っても抜けない。そのまま日常使い使えるくらい頑固に固まってしまったのです。そこで仕方がないので翌週送りにしたら、良くしたもので一週間後にはスコンと抜けて治療を継続できるようになりました。

 しかし継続治療の一日目、根に新たな土台を埋め込み、仮の差し歯をつけるとしばらく待たせてから歯科医が、
「もういいですよ。口をゆすいでこちらにどうぞ・・・」
 しかし私は、
《ちょっと待てよ、先生》
と心の中で呟きます。口の中に脱脂綿が残ったままだったからです。
 結局、看護師に取ってもらったのですが、マスク越しにも老けたとは見えない先生も、やはり相応にお齢を召されたのでしょう。あちこち不都合が出てきます。

 そんなことがあって翌週、警戒しながら治療を受けているうちに、私は突然、こんなことを考え始めたのです。
「この人、(私の知るだけでも)30年間、毎日どういう気持ちで仕事を続けてきたのだろう?」


【その人生、面白いかい?】

 スポーツマンで、若いころは剣道教室でアシスタントのような仕事をしていたことも知っていますし、休日の朝、大きなワゴン車にかなりの荷物を詰め込んで旅行に出かける姿を見かけたこともあります。しかし職業柄2日以上の連休ということはほとんどなく、週休二日と言っても水曜日と日曜日に休むだけです。土曜日は半日ですから普通のサラリーマンよりそのぶん休みが多いのも事実ですが、半日休みがどのくらい使いづらいか、経験のある私にはよくわかります。
 定時始まりで定時終了、残業なしは確かに魅力的ですが、仲間と一緒に夜の繁華街に繰り出すということもないでしょう。そもそも仲間と言えるものを何人おもちなのか。そんな生活、つまらなくありません?

 同じことは以前通っていた耳鼻咽喉科でも思いました。
 失礼を承知で腹に納めていたことを口にするのですが、それは、
 毎日毎日一年250日くらい、ただ耳と鼻と口の三つの穴を覗いて何が楽しいのか。
 頭も抜群に切れて大学も6年間も通い、莫大な授業料を払って手に入れた生活がこれか?
 もちろん収入はべらぼうによさそうだけど、使うときがないじゃないか。それって銀行強盗が手に入れた莫大な現金が、すべて番号を控えられているのと同じ状態ではないか。
 そんなふうに思うのです。

 開業医はともかく大病院の勤務医は面白そうだ、というのは私の勝手な思い込みでしょうか? 町のお医者さんと違ってやたら難しい患者も来ますから、自分一人(とは限りませんが)の判断と技術で救えるものは救える。救えない人にもギリギリのサービスを提供できる、それはかなり魅力的な気もします。
 もちろんできないことはできないという厳しさもありますが、それはどの世界も同じ。できないことの見極めもプロらしい仕事です。

 ただし勤務医の労働環境は教員よりさらに苛酷。私の元同僚の御夫君は、大学病院の医師として、定年退職まで40年以上も年間3日(大晦日から正月2日まで)しか休まない生活を続けて来たそうです。それなりのやりがいもあったのでしょうね。


【私はいかに?】

 さて、翻って私です。
 他人の生活に失礼な憶測をしておいて、じゃあお前はどうかと言われれば、私の生活も外から見れば「何が楽しいのか分からない」ということになりそうです。
 悠々自適と言えばその通りですが、だれからも圧力をかけられない代わりに誰からも期待されない人間関係の辺境。
 晴耕雨読専業主夫。知を楽しみ作物の生育と収穫を楽しむ。しかしそんなものはなくてもかまいません。そんなに楽しくもなく、どうしてもやりたいわけでもなく、他にないからやっているだけのことです。
 退職金と多少の貯えもありますが、職業人である間に楽しいことの基準が変わってしまい、時代遅れになったり時流に乗り遅れたり――そもそも齢を取れば金のかかる遊びも楽しいとは思えず、今さらスカイダイビングだのスキューバだのバンジージャンプだの、そういうことにも興味がわきません。しかし生きている。

 そしてようやく私も理解するのです。
 たしかに世の中には生きがいをもって仕事をし、楽しく生きている人もいますが、楽しむこと自体は人生の目標ではない。人生に目標がなければいけないという考え方も間違っています。

 多くの人々は淡々と自分の人生を受け入れ、ときに楽しく、ときに面白く、少々の苦しみと喜びを味わいながら生きているのです。若い時ならともかく、ある程度の年齢になると犬や猫が自分たちの存在理由を問わないように、私たちもいちいち考えずに生きることができるはずです。

 しかしそれでも、同じ生活を何十年も続けて行けるものなのか――私はふと疑問に思いました。

(この稿、続く)