カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「自主組織・任意団体という軛(くびき)を逃れる」~PTAについて改めて考えた 

 保護者にとって、PTAに加入するかどうかがテーマとなってきている。
 過去を振り返れば、私たちは労働組合を潰し、町内会を弱体化させてきた。
 こうしてひとつひとつ自由になってきたのだが、
 その自由が、私には
どうやら不安なのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【品性としてのPTA加入】 

 孫のハーヴが小学校にあがったのに、新型コロナ感染で入学式に出席できなかったというお話はしました。今日はさらにその2カ月ほど前の話です。

 ハーヴの母親、私にとっては娘のシーナが、何かで寄こした電話のついでに、こんな話をしてくれました。
「この前ね、ハーヴの来入児入学説明会があったのだけど、その帰り道でね、説明会で仲良くなった二人のお母さんと一緒に話しながら帰ったんだけど、『PTAどうする?』っていう話が出たのよ。そうしたら片方のお母さんが、
『うん、なんだか卒業式にコサージュをもらえるかどうかって、それだけのことみたいよ』
だって。私、びっくりしちゃって。噂には聞いていたけど、PTAに入るかどうかが話題になる時代なんだよね。あ、もちろん私は入るけど、(入会しないのは)品がないから」

 その時はピンと来なかったのですが、あとになって「品がない」の意味が分かりました。“PTAに入るか入らないかを何か貰えるかどうか、損得の問題として考え、入会しないこと”が下品だという意味です。私もそう思いました。

 PTAはデパートの友の会ではありません。なにかいいものが貰えるから入る、もらえないからやめるというものではないと思うのです。それは強いて言えばアイドルのファンクラブのようなもので、(もちろん何かが貰えるという特典もあるでしょうが)基本は応援したいから入るのです。そこに損得を持ち込んだら、生粋のファンは怒ります。

「PTAは任意団体だから入らなくてもいい」という運動はずいぶん広がりをみせて、都会ではすでに入らない人も多くなっているのかもしれません。昨日はネットで「教師の入会も強制されるべきではない」という記事も読みました。私は典型的な老害教師のさらに成れの果てですから、深くため息をつきました。
 この調子で行けばまもなくPTAも体をなさなくなって、やがて消えて行くことでしょう。こんなふうに学校に関わる組織がなくなっていく――それには苦い思い出があります。


【組合は死んだ。私たちが殺したのだ】

 昨日、「起業家精神教育」について半分絶望しながら書いて、ふと思ったのは、
日教組全盛の時代なら、こんなことにはならなかったのかもしれない」
ということでした。今さら新たな追加教育の話があったら、瞬時に政府に噛みついてくれたのかもしれない――。

 もっともその時代であっても日教組の主な活動目標は賃上げや労働環境改善ではなく、世界平和や反戦でしたから(私にはそう感じられた)、ことは簡単に進まなかったかもしれません。
 ただ、それでも現在よりは政府にブレーキがかけられたように思うのです。政府の側にも、安易に突っ込むと絡んでくるから何かと面倒だと、組合に対する遠慮がありました。

 その大切な労働組合日教組)を、誰が今の惨めな姿にしてしまったのか――。もちろん私たちです。

 私、個人についていえば日教組の連合加盟で職場が二分されて以来、職場長くらいはやるものの、組合活動からは常に距離を置くようにしてきました。あからさまではありませんでしたが職場に目に見えない分断があって、活動を深める以上は旗色をはっきりさせる必要があったからです。それが嫌だったのです。
 私は主流派と反主流派の両方に軸を置くコウモリでのままでしたが、それが嫌で組合をやめていく先生も少なくありませんでした。やめた先生はとうぜん新卒の先生に勧めたりしません。ですから組合員数は細るばかり。そして今の状況です。

 私はそれでも資格のあるうちは組合費を払い続けました。規模はとんでもなく小さくなってしまいましたが、組合員を守ろう、教員を守ろう、日本の教育を守ろうと本気で努力されている先生はどこかにいるのです。休日にデモに参加したり総会の準備をしたり、機関誌の原稿を書いたり――。彼らや彼らの先輩たちが頑張ってくれたからこそ、享受できる権利も資金もあるのです。
 私は活動しない、だったらせめて資金的には援助する、さらにまた1万分の1%くらいにもならないかもしれないけれど加入率の支えにもなる、そういう思いでいました。

【地区の自治会を抜けてしまうということ】

 PTAと同じ任意団体・自主組織というともうひとつ心に引っ掛かるものがあります。町内自治会です。この3月まで、8軒の家族を束ねる持ち回りの組長でした。
 同じ組の中にあと4軒あるのですが、内3軒が空き家、そしてもう一件は4年前に脱退されたお宅です。もう40年もこの地区に住んでいるのに、自分に組長が回ってきたのを機に、市役所や区長にねじ込んで、やめることを認めさせました。

 私は想像がつかないのです。
 月一回の地域清掃にその家からは一人も出て来ません。自治会員ではないので当然と言えば当然です。しかし掃除の音や話し声も聞こえるはずのその時間を、家族はどんな思いで過ごしているのでしょう? 地域の氏神の大祭は、ここ二年ほどはコロナで中止になっていますが、手伝いにも出なかった一家は、出かけることはなかったのでしょうか。打ちあがる花火をどんな思いで見たのでしょう。

 さらに言えば万が一、大災害となって避難所が開設されたとき、この一家はどんなふうに中で過ごすのでしょう。
 もちろん市民をやめたわけではないで避難民として公平に扱ってもらえるのは間違いありません。しかし避難所の実際の運営は町会単位になりますから、町会費を払っていない一家には、仕事が回ってきません。仕事をしない人にも、他の家族は優しくしてくれるでしょうか?
 だからといって今さら、「何か手伝うことはありませんか」とは言いにくいし、言われた方も素直になれません。
「だったら最初から、やることをやれよ」
 口に出してそういう人もいないと思いますが、目はそう言っています。

 

【オレの安心安全は誰が守るのだ】

 もしかしたら詰まるところ、私は臆病者なだけのかもしれません。皆が属している集団から抜けることの恐怖、抜けたあとのその先にあるものに対する恐怖、そうしたものが私を組織に引き留めているだけなのかもしれない――。

 しかし翻って、そうした「組織から積極的に抜け出していく人々」が独立心に満ちた不羈の人間たちかというと、そうでもないような気もしてきます。彼らの一部は「オレはオレでやっていくから放っておいてくれ」と言っているのではなく、
「何でオレが金を出したり働いたりしなくちゃいけないんだ。オレの安心や安全は、自主組織や任意団体ではなく、他の誰かが担うべきじゃないのか」
 そう考えている可能性があるからです。

(この稿、続く)