「時間外労働、上限月45時間の衝撃」~学校教育はいい加減でいいと文科省は言った1

 中央教育審議会が教員の時間外労働の上限を月45時間とするガイドラインを決めた

 しかしそんなことが可能なのか

 

 中教審委員は可能だという

 そしてとんでもない具体例を示してきた

 

というお話

 

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ミュシャ「スラブ叙事詩《聖アトス山》」)

 

中央教育審議会は何を考えているのか】

 1月25日の中央教育審議会で教員の時間外勤務の上限を月45時間とするガイドラインが決められた報道を見てカチンと来て、その日のうちに非難声明のようなものを書きました(2019/1/26「日本の教育は改善しようとするたびに劣悪になっていく」)が、26日になって委員のひとりがYahooニュースに記事を載せていることに気づき、ああこういう考えの人たちが話し合うと、ああいう結論が出てくるのかと、妙な感心をしたので書いておきます。

 

 その記事というのは、

news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

 書いたのは教育研究家、学校業務改善アドバイザー、中教審委員の妹尾昌俊さんです。

 

 記事の要旨を簡単にまとめると、

‘子供のためであればどんな長時間勤務も良しとする’という働き方は,教師という職の崇高な使命感から生まれるものであるが,その中で教師が疲弊していくのであれば,それは‘子供のため’にはならない。

 

今回月45時間と上限を決めたが、それは

 教師の過労死まで起きている以上、教師の命を守ることがひとつ。もうひとつは、過酷な長時間労働のままで教師が疲弊しては、授業や教育活動の質を下げ、子供(児童生徒)のためにもよくない、ということを重く見た

からなのである。

 

 しかし、残業時間の上限を定めるだけでは当然ダメなのであって学校や教師の仕事を大きく見直して、精選していくことが必要だ。

 

 多くの学校の現実としては、大した効果もないのに、前例踏襲で続けているものが多いのではない。むしろ、子供たちのためになっているので続けている、というものも多い。

 ただし、

 児童生徒のためになる、教育効果があるということで、学校はすぐゴーサインを出したり、やめらなかったりするのだが、これは間違っている。

 

 効果だけを強調して意思決定したり、運営したりするということでは不十分だし、危険だ。負担や時間のことも考えなければいけいない。こんな当たり前のこと、基本的なことは、(中略)なぜか、学校現場や教育行政のこととなると、「子供のために」という思いや声で、負担や時間を考慮する重要性がかき消されてしまう。

 

 子供のためになると、欲張りを言うとキリがない。(中略)時間は有限なのだし、教師などの人材も限られた数なのだから、教育効果のあるもののなかから選んでいくことが必要だ。

 

 しごくまっとうで、これまで多くの教師が叫んできたこととまったく変わりがない。ほとんど全面的に賛成と言っていい話なのですが、そこに「だから小学校英語をやめましょう」「プログラミング教育はひっこめましょう」という発想が全くないのに驚きます。

 

 「もうキャリア教育も社会に任せましょう」「食育や健康教育についてもこの際、削りましょう」「総合的な学習の時間はなくせません?」「やいや昭和21年までさかのぼれば『道徳』の時間すらなかったのだから、一度原点に戻ってそこからやり直しません?」といった見方はまったくないのです。

 

 その代わり発せられるのは、「現場の先生!そんなに頑張るんじゃねーよ」「学校は“あれもこれも”をやめる時だ」というメッセージです。

 要するに学校が苦しくなったのは先生たちのやりすぎが原因なのだから、やめりゃあいいじゃないか。お前たちが頑張って倒れれば子どもが迷惑するんだよ、というわけです。

 

 これで教育現場の先生たちが納得するのでしょうか。

 

 

【学校の業務、大幅削減に成功している学校があるという話】

 妹尾昌俊という人に興味を持ったのはそこそこ昔からだと思うのですが、最近興味深かったのは先月(2018年12月)28日の、これもYahooニュース記事でした。

news.yahoo.co.jp

 ここでも妹尾氏は、

「学校の先生よりも民間のほうがよほどタイヘンですよ」という声は保護者や地域の方からよく聞くのだが、

(中略)

業界(産業分類)としてある程度のまとまりで見ると、学校の多忙は突出している。

と現状を訴え、

 睡眠時間等を削って、過労死や精神疾患のリスクと隣合わせの学校も多い。悠長なことは言っていられず、一刻も早く改善しないと、子どもたちの教育にも悪影響が出る。

と憂いています。ここまでは私も同じです。

 

 ところが次の段階で、

 文科省中教審が真摯に反省して、もっと見直していくべきなのは確かだ。だが、文科省のせいとばかり言って、自分たちのことを十分に振り返らない姿勢はいかがなものか、とも思う。

となり、

 授業準備上の工夫、学校行事、採点・添削、掃除、会議、その他の業務の多くは、文科省は細かく学校に指示していないし、義務づけてもいない。(正確に言うと、そんな権限は国にはない。)学校側(校長)の裁量のほうが大きい。

と、多忙化の原因を、文科省が細かく指示していないにもかかわらず校長裁量で行っている業務の方に振り向けるのです。

 

 記事の後半は「思い切った業務の整理、削減などを実行している例もある」というタイトルで大胆な業務削減を行った静岡県のある小学校の事例を紹介していますが、それにはこんな表が添えられています。

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 夏休み中のプールも熱中症などのリスクも高くなっているし、やめて、学期中の体育の時間での練習とした。運動会の組体操は、怪我のリスクが高いうえ、練習にも多大な時間を要していたことから、ダンスなど簡易なものにした。プール掃除などは教員がやっていたが、業者委託にした。印刷やデータ入力などはスクールサポートスタッフ(SSS)という教師以外のアシスタントがかなり手伝っている。

 

 またこの静岡の小学校の例ではありませんが他の学校のこととして、

 学校で夜間・早朝に留守番電話対応とする

 家庭訪問にかえて、面談とする。通知表の所見欄は簡素にして、面談で説明する

なども紹介しています。

 

 得々と語られるこの業務削減策を見ながら、私はその愚かさに呆然と立ち尽くします。文部行政の中心にいる人たちが、ここまで学校教育を分かっていないとは思っていなかったからです。

 

                (この稿、続く)