カイト・カフェ

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「できない子に優しい目を向ける“縁の下の力持ち”の育て方」~学級というルツボの扱い方⑤

 児童玄関の靴がそろっているクラスには、必ず直してくれている児童がいる。
 個々の自覚に任せたら、絶対にそろいはしない。
 クラスの弱い部分を支えるそうした“縁の下の力持ち”がたくさん育てば、
 担任のイライラも半分以下に減ろうというものだ。
という話。

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(写真:フォトAC)

 

 

【下足箱はクラスの顔】

 「玄関はその家の顔」といった言い方があって、昔はどこの家も玄関だけはきちんとしておこうという気持ちがありました。ですから子どもたちのお手伝いも「玄関掃除」と相場が決まっていたのです。
 最近では玄関が狭すぎて整理しきれないといった事情もあってかあまり気にしない傾向がありますが、学校の下足箱は、いまでも「クラスの顔」、荒れたクラスは必ず下足箱が汚いという考え方があります。
 なぜそうなるのかというと、学校は一種の結界ですから玄関に入ったときに気持ちを切り替えられるかどうかが目安になるのです。朝まで家で“ウチの子”としての生活を送って来た子どもたちが、玄関に入って靴を履き替え、下足をきちんと箱に収めることで心身ともに“児童(学ぶ姿勢のある者)”に変わって教室に向かうわけです。
 子どもが子どものまま学校に来ては困ります。児童になってくれなくてはなりません。

 したがって気の利いた教師は必ず下足箱の指導に力を入れますが、ここにはちょっとした工夫があるのです。
 私がそれを知ったのは学級担任を外れてからのことで、まったく実践に繋がらなかったのですが、小学校1年生でやればおそらく100%うまく行くはずですから紹介しておきましょう。

 

 

【はきものをそろえさせる方法】

 新学期が始まったばかりの4月、担任教師はクラスの児童を率いて児童玄関に向かいます。このとき前もって下足箱に行き、ある程度きちんと靴を並べ直しておくことが手品の種です。そしてこんなふうに言うのです。
「おやおや、ずいぶんきれいに並んでるね。みんな立派だね」
(子どもは自分がどんなふうに入れたかなんて絶対に覚えていないので、誉められると喜びます。素直に話を聞く基盤づくりです)
「でももっときれいにできるかもしれないね。みんな自分の靴を入れ直してごらん」
 気分がいいですから子どもたちは張り切って靴をそろえ直します。学校によっては箱の中に線が書いてあるところもありますが、普通はふちに踵を合わせるようにします。『靴をきちんと並べる』ということがどういう状態なのかを確認させるわけです。
「そうだね。すっかりきれいに揃った。これからは朝、学校に来たときや外で遊んだあとは、こんなふうに靴をそろえるんだよ。帰るときは上の段に上履きを同じようのそろえるんだね」
と、話します。
「でもね、そんなふうにしてもうまくできない人もいるよね。忘れちゃう人もいる。〇〇さん、ちょっと靴を貸してね」
(そして一足、わざとずらして見せます)
友だちの靴がこんなふうになっていたら、どうしたらいい?」
 このときほぼ100%確実に出てくる答えが、
「注意すればいい」
です。そうしたら、
「そうだよね。注意すればいいんだよね。でも、注意しても注意してもうまくできない人がいるよね。そんなときはどうしたらいい?」
 そしてここで待ち構えていた答えが返ってくるのです。
「(靴を)直してあげればいい」
「そうだよね。気がついた人が直してあげればいいんだね」

 それで翌日から下足箱の靴は神経質なほどきちんとそろうようになります。まず間違いありません。

 

 

【最も重要な指導は、どうでもいい時にする】

 この取り組みの優れたところは四つです。

  1. 「靴がきちんとそろっている」という理想の形を示したこと。
    「きちんと」「しっかり」「うまく」などには具体的なイメージが必要です。理想の形を示しておかないと子どもたちは“そこそこ”に満足してしまいます。
  2. 「できない子を注意する」という対策を封じたこと。
    できない子は注意されたってできないのですから、この対策法が生きている限り紛争・差別の種は尽きません。いじめの原因のひとつもここにあります。
  3. “できない人”の分は“できる人が補う”という民主主義社会の構造を児童の世界にも当てはめたこと。
    その考え方が身につかないと、累進課税社会保険が理解できません。「助け合い」というのは同時に助け合うことではなく、たいていの場合、そのときの強者が弱者を補うことです。助けずに済む日も来れば逆転することもあります。
  4. これが一番重要なことですが、「人の成長には差があって(いつかできるようになるかもしれないが)、みんなとおなじようにできない人がいる」「その人の分はできる人が補わなくてはいけない」といった重要な道徳的な価値を、靴ぞろえという日常的な、そしてある意味では失敗してもいい場面でさりげなく行ったことです。

 いじめ指導のような深刻な、絶対に失敗できない場面でこんな指導をしても、特に加害者・傍観者と目される子どもの心には一ミリだって浸透していきません。大切なことは平穏な時期に指導しておくものなのです。

 

 

 【縁の下の力持ちの育て方】

 発達障害の子を、叱ってはいけないと思っているのに叱ってばかりいる」という新任の先生の嘆きから始まった話ですが、その子のことを他の子どもたちが温かい目で見るようになり、陰に陽に支える姿を見せてくれるようになれば、担任としてももっと穏やかに鷹揚に接することができるはずです。
 自分はできなかったことなので恐縮ですが、担任を外れてから学んだことなのでご容赦ください。

 ついでですが靴のそろえ方について教えて下さった先生は、さらに付録の知恵も授けてくださいましたので紹介しておきます。
「そんなふうにすると、その日のうちから他の子の靴を直してくれる子が続々と出てくる。でもそれが長続きしないんだよね。こっち(教師)が気づいてしょっちゅう誉めていれば続くかもしれないけどしょっちゅ忘れちゃう。だから一つ魔法をかけておくのです。
 靴をそろえる指導をして、 
『そうだよね。気がついた人が直してあげればいいんだよね』
と言ったあと、
『でもね、いいかい、大切なことだからよく覚えておくんだよ。いいことをしたら人に話してはいけないんだ。ひとに話すと自慢っぽくなってしまうでしょ? すると“いいこと”は“いいこと”じゃなくなってしまうからね』
 そうすると黙っていてもいつまでも頑張ってくれる子が出てくる。もちろんこちらも思い出した時くらいは誉めてやらなくちゃいけないけどね」

 新任の先生たちのツイートを呼んでいるうちに次のような話に出会いました。
今年のクラスはストローのゴミが全く落ちていないことに最近気がついた。この1週間、よーくクラスを見てみると、1人の目立たない男の子がいつもいつも誰のか分からないストローのゴミを拾っていた。そういった子が輝くクラスを作っていきたい!
 この子にも魔法をかけてあげたいですね。未来の縁の下の力持ち、社会を支える人材候補ですから。

(この稿、終了)