卒業式前日の学校には特別な雰囲気がある
卒業生が式の練習を終えて帰宅し
教室や体育館の飾りつけに忙しかった在校生も活動を終えて下校し
さてそのあと 先生たちは何をしているのだろう
というお話。(写真:フォトAC)
【卒業式の前夜】
いよいよ明日は卒業式です。
その前日である今日一日を、卒業学年の子どもたちはどんな風に過ごすのでしょうか。
そして親御さんは。
私は二人の子どもについて、小学校卒業のときは「ああこれでこの子と過ごす人生の三分の二が終わってしまう」と思い、中学校卒業の時は「ああ、あと3年しか残っていない。この子と過ごす六分の五が終わってしまった」と、そんなことばかり考えていました。
子どもは18歳になったら家を出て二度と戻ってこないと思っていたからです。
kite-cafe.hatenablog.com でも普通のお宅ではそんなふうにアタフタせずに、卒業式の前日か当日の夜、家族できちんとお祝いするのかもしれませんね。
学校の先生にとっての今日は、なかなか大変です。
式当日は綿密な計画の通りきちんと流せばいいだけで、さほど慌てたり緊張したりすることはありませんが、今日の夕方までにやっておくことはたくさんあります。緊張したり慌てたりすることは、すべて今日のうちにやっておかなくてはなりません。
【副校長(教頭)先生】
例えば副校長(教頭)先生は今日一日、とても忙しい時間を送ります。
玄関の花飾りから来賓の下足箱の表示、控室のしつらえ、体育館の来賓席の数を確認して祝辞を読まれる方の席を確保(最前列にしておかないと不便です)、あちらこちらの清掃の具合、用具の点検――すべてが副校長の管理下にありますからチェックにチェックを重ねます。
変わったところでは、卒業生がかつて教わった先生から届く祝電・メッセージの確認というのがあります。
3年も4年も前に転任された先生だと卒業式を失念していて、何も送ってくれない場合があります。
“他の先生からの電報が届いているのにボクのクラスの先生はくれなかった”
では子どもが可哀そうですし、その先生にも気の毒です。
ですから窓口である副校長(教頭)先生は現任校を調べて、催促したりするのです。
「行き違いになっているようでしたら申し訳ありませんが、いま祝電を整理していたら先生の分が届いていません。もし送っていただけるようでしたら明日の朝でも間に合いますのでよろしくお願いします」
現在は至急電報というものがないので “明日の朝”では間に合わないのですが、その代わりメールの添付ファイルという手があります。そこでメールで送ってくださいと依頼するのですが、教師という職業の人はこういうことをさせるとすごく上手で、あっというまに気の利いたメッセージカードが届いたりします。
元担任が退職して所在不明になっていたりするとメールはさらに威力を発揮します。
昔は古い電報を利用してかなり苦労して偽造したみたいですが、メールの添付ファイルだと実に簡単です。かつて自分がつくって送ったことのあるメッセージを電子ァイルから取り出して、名前を変えて印刷すればいいだけです。これで卒業生に関わる全員の先生たちのメッセージが揃います(*1)。
*1・・・もちろんすべての副校長(教頭)先生がこうした偽造に手を染めているという訳ではありません。そういうことをやった先生を知っている程度の話です。
【校長先生】
校長先生はこの日までに卒業証書を用意します。
用紙は教育委員会が校長名入りで用意してくれますが、卒業生の氏名と卒業生番号の記入、職印や割り印(証書と卒業生名簿の間を渡して押す)は学校でしなくてはなりません。
ここで大問題が発生します。
100年前の教師と違って、現代の校長先生は必ずしも書が堪能ではないのです。大切な卒業証書が見るも無残な悪筆では、校長にとっては一生の恥、子どもにとっては生涯の不幸です。
世の中の校長先生たちがそうした危機をどんなふうに乗り切っているかは謎ですが、家族に書家がいれば家族に依頼し、いなければ自腹を切ってプロにお願いしたりするみたいです。公務員だった私の父が定年退職後に代書のアルバイトをしていましたが、一度そうした注文を受けたことがありました。
副校長(教頭)先生あたりに有名な書家がいたりするとお願いすることもあるみたいです。しかし一般職の先生に頼むことは稀です。先生たちはいつだって忙しいのです。そんな神経質な仕事を頼んではいけません。
校長先生のもうひとつの大切な仕事は式辞の準備です。
昨年のNHK「チコちゃんに叱られる」では、教育評論家の尾木直樹先生が「ネタ本があって校長先生はそれを下敷きに校長講話をやっている」といった言い方をしておられました。
kite-cafe.hatenablog.com しかしそんなことはありません。ネタ本を使うにしても初めて校長になった第一回で参考にする程度です。
校長講話や式辞の怖いところはそれを聞くのが児童生徒だけではないということです。学校中の先生たちが耳をそばだてて聞いています。あとで教室に戻って内容を確認したり噛み砕いて言い直したりしなくてはならないからです。ですからつまらない話だったり同じことの繰り返しだったりすると、すぐ先生たちからソッポを向かれてしまいます。
卒業式の式辞は普段の校長講話よりはるかに格式ばったものですから、ある程度の書式があり、そのぶん楽だとも言えますが気の抜けるものではありません。
式辞を書いて音読の練習をし、式辞用紙に清書するなり印刷するなりして明日に備えます。(こんなのがあります→)
さらにより慎重な校長先生だと金庫のところに副校長(教頭)先生を呼び寄せて、こんなふうに言うことがあります。
「『式辞』は金庫のここに入れておきます。明日、万が一のことがあって私が来られないようなら、先生が代わりに読んでください」
万が一というのは寝坊のことではありません。死んだり救急車で運ばれたりしない限り、校長先生は這っても時間通りに来るものです。万が一というのはそのいずれかの場合という意味です。
卒業式は学校にとってそのくらい重要な式なのです。
【一般の先生たち】
学校というのは非常に公平性の高い職場です。ですから先生たちも常に平等なのですが、卒業式はちょっと事情が異なります。卒業学年の先生たちをみんなで支えるといった擬制をとるからです。校長も含めて、心情的にもそういう感じになります。
修学旅行や児童会・生徒会、対外的な活動も多く、中学校の場合は受験もありますから最高学年の担任の負担は尋常ではありません。ですからその集大成の日を、みんなで支えて遺漏がないようにしようと、そんな気分になるわけです。そして精一杯、励みます。
教室の飾りつけとか体育館の来賓の席、保護者の誘導路や全体の清掃の様子など、最後の最後まで、確認を怠りません。
【担任】
卒業式前日まで、最高学年の担任たちは子どもたちと一緒に一気に走り抜けてきます。あとがないわけですから積み残し・やり残しという訳にはいきません。教科はもちろん、道徳や学級活動についても何かし残したことがないかずっと気を配り続けてきたのです。
持ち物はすべて持ち帰らせなくてはなりません。個人通帳も解約し、給食費の返金もその日までに済ませます。同窓会への入会式、地域へのお礼、先生方への感謝の言葉の用意等々・・・本当に一気呵成といった感じです。
一瞬も気を緩められない目の回るような日々を突っ走ってきて、卒業式前日、最後の式練習を終えて生徒を帰すと、意外なことにここでぽっかりと穴が開いてしまいます。
他の先生たちがまだ式場準備だの花の手配だのと忙しく走り回っているのに、自分だけ何もすることがない――。
もちろん卒業学年の担任であってもいちおう「卒業生指導係」とかいった係名はありますが、これは延々と学級活動をやっているようなもので生徒を帰してしまうと式の準備という意味では仕事がないのです。
しかたがないのでほとんどの場合、卒業生の担任は下級生に飾り付けてもらった自分の教室に向かい、しばらくそこで時間を過ごします。
さまざまに事件のあった教室です。一人ひとりの子どもを一年間成長させた修行の場でもあります。そして改めて、明日の最後の授業で何を話そうかと考えたりするのです。
担任として行う、もっとも重要な授業の素案を練るのです。(*2)
*2・・・ただし、この期に及んでまだじたばたしている担任の先生もいたりします。生徒一人ひとりのための色紙をつくるとか、クラスの活動の様子をDVDに編集して渡すとか、何か遠大な計画を立てて間に合うのが難しくなった先生たちです。
計画の甘い担任と言えばそれまでですが、これもなかなか捨てがたい担任の姿です。