「未来の学校の始まり」~日本でオンライン学習が進まない理由④

 海も空も山も川も、おそらく1000年たっても変わらないように、
 田舎の風景も学校の姿も、根本的に変わることはないと思っていた。
 しかし今回のコロナ事態をへて、
 もしかしたら人々は学校のあり方自体を、
 問い直そうとしているのかもしれないと思うようになってきた。
 その序章

というお話。

f:id:kite-cafe:20200606220802j:plain(「ビジネスマンの指差しと都市ネットワーク」フォトACより)

【100年たっても変わらないもの】

 私はSF映画が好きですが、未来都市の姿はさまざまに描かれても、100年たとうが1000年たとうが変わらない風景というものがあると思っています。

 例えば当たり前の話ですが、エベレストの頂上だとか、サハラ砂漠の真ん中、エアーズロックイグアスの滝などは、巨大隕石の衝突でもない限り多少形を変えても残るでしょう。都市の風景は変わっても、田舎はあまり変わらないような気がします。SF映画につきものの“核戦争による地球全体の汚染”みたいなことがなければ、太陽や雨といった自然の恵みを棄てて農業工場で野菜をつくる必要はないからです。

 作物や植物を育てる方法や環境はおそらく100年たってもたいして変わらない。それと同じように、人間を育てる方法や環境も100年や200年ではそう簡単に変わるものではないだろう、私はそんなふうに思っていました。子どもが毎日同じ場所に集まって、一緒に活動しながら学ぶ学校という存在は、相当長い期間、今のままだと信じていたのです。

 

【人類も科学文明も、思ったほど進歩しない】

経験主義は私にとっては自明のことでした。
 例えば野球選手になろうとしたら指南書を読んだり動画を見たりするだけでなく、実際にバットやグローブを手にして球を打ったり投げたりしなくてはならない、車の運転だって、本を読んだだけ、練習なしで公道に出て来られたらかないません。
 それと同じで、人間関係の学びは人間の中で実際に動いて、衝突したり仲直りしたり、思案したり話し合ったりしながら身に着けるものです。

 もちろん仮想現実の世界で訓練すれば、といった話も出てくるかもしれませんが、だったら野球も運転もシミュレーターの中で行えばいいことになります。さらに言えば、そんな世の中にするくらいならむしろ世界から人間関係自体をなくす方が早いでしょう。
 すべての人間がコンピュータの判断に従って行動するようになれば、交渉や恋愛といった高度で厄介な人間関係の問題は、すべてなくなってしまうからです。
 しかしおそらく、そんなふうにはならない――。

 どんなに先の未来を思い描いても、人間の生活はさほど変わったものにはならない――それが60数年間に生きてきた私の結論です。2001年には背広で宇宙旅行に行き(「2001年宇宙の旅」)、2003年には鉄腕アトムが誕生し、2018年にはT800という軍事用アンドロイドが開発されて(「ターミネーター」)、世界はまったく異なったものになっている――それが20世紀の、私たちが思い描いた21世紀初頭の姿でした。しかし2020年の現在、どれもこれもまだ達成されていません。
 文明なんてそう簡単に進化しませんし、そこまで急激な変化を人は望まないからです。
 ――と思っていた。

 

【私は間違っていたのかもしれない】

 新型コロナは具体的には予見されていませんでしたが、パンデミックは夢物語ではありませんでした。特に近年は鳥インフルエンザに対する警戒が強く、それはそう遠からずやってくると人々は思っていました。しかし実際に新型コロナウイルスパンデミックが起こると、私たちはびっくりするような現実を見せつけられたのです。
 感染拡大の結果、学校が閉鎖になり、それが何カ月も続くという当然予想できた現実に対して、何の準備もなかったのです。

 もちろんそれを非難するつもりはありません。来るか来ないか分からないパンデミックより、毎年確実にやってくる洪水や台風に対する備えの方が優先されるのは当然です。

 しかしいったん起こってしまった以上はその中でなんとかやりくりしていかなくてはならないし、その過程では可能な限り正しい判断をし続けなくてはなりません。選択は迫られていますが、目前の危機を回避するためにしてはならない選択をしてしまうと、取り返しのつかないからです。

 「9月入学」がそのひとつです。知事のある方は「今やらなければ、これから先もずっとできない」とおっしゃいましたがまさにその通りで、危機に乗じて長年の夢を果たそうという人は少なくないのです。しかし「できる」ことと「やっていいこと」は違います。

 「オンライン学習の充実」に反対する人は今のところいません。当然のように受け止められていますが、これも行く末をしっかりと見据えないと取り返しのつかないことになるかもしれないのです。どこかに瑕疵はないか、矛盾はないか、そして無理に今、すべきことなのか。

 今から40年近く以前、「これからはコンピュータ時代だ」という言葉に脅された親たちが「ファミリーコンピューターファミコン)」という恐ろしい装置を買ってしまった愚を、国家規模で行ってはいけないのです。

 オンライン学習を導入し整備した未来の学校が、どういう姿になっていく可能性があるのか、裏切り者のT文科大臣の言葉として、もうしばらく続けて聞いてみましょう。

(この稿、続く)