カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「大人の相談はどこに持って行けばいいのか」~人生の最期をきれいに終わらせるために

 今年起きた老人による二つの大きな事故・事件。
 「東池袋自動車暴走死傷事故」と「元農水事務次官長男殺害事件」。
 もちろんよそ事ではないが、我が身に置き換えたとき、
 どう対処したらよいのか。

という話。

f:id:kite-cafe:20191223075352j:plain(「夕空と木の側のベンチと老人」パブリックドメインQ より)

 

【心配で母を温泉に連れていけない】

 夜は一緒にいるのですが、日中は独り暮らしをさせている92歳の母が“退屈で仕方ないから温泉に連れて行ってほしい”と言います。しかし私は言を左右にしてはっきりした返事ができないのです。
 現職の教員で土日も忙しい妻が、合間をみて一緒に行ってくれるならいのですが、私一人では連れて行く気になれません。一度やって懲りているからです。

 どう懲りたのかというと、男湯で湯船に浸りながら、隣から聞こえてくる女湯の会話や物音になんとなく耳を傾け、母が誰かと話す声が聞こえたり桶がタイルに当たる音や蛇口から流れる水の音が聞こえている間はいいのです。それがひとたび止んで何も聞こえなくなり、静けさが延々と続くと気が気ではなくなります。母は20分や30分で上がってしまう人ではありません。脱衣場に向かったのではないとしたら、この静けさは何なのか?

 たまらず上がって着替えると旅館の仲居さんを探して女湯の様子を見に行ってもらいます。
 本気で心配していたわけでもありませんが一抹の不安を抱えながら待っていると、戻ってきた仲居さんは「気持ちよく入浴しているようですよ」とのこと。思った通りですが、やはり不安はぬぐい切れない。
 それから20~30分しても、それでも出てこないのでまたさんざん迷った挙句、再び仲居さんにお願いして行ってもらうと、
「今、着替えて出てくるところです」
 それでようやく一息つけます。

 心配の中身は単純ではありません。
 もう92歳ですから急死ということがあっても仕方ないのですが、その歳で全裸で発見されるのも気の毒ですし、倒れて頭でも打って、血を流すような状況だったら誰が後始末をするのか――。
 血を洗う仕事が嫌だというのではなく、女湯に入るのがはばかられるのです。実際問題として、倒れた母に対応している間は、風呂の清掃といった仕事はできません。
 母の最期が“さんざん人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせて――”といったものになることは、できれば避けたい――それが一番の願いなのです。

 その気持ちは8年前に死んだ父が、最後まで運転したがって困ったときと同じです。人を死なせるような大きな事故はもちろん、自損で怪我をする程度であっても、
「その歳で、何を考えての運転だ」
と後ろ指をさされるような晩年を送らせたくなかったのです。

 

【人生の最期をいかにきれいに終わらせるか】

 今年、その意味で深く考えさせられた事件が二つありました。
 ひとつは4月に起こった元経産省官僚による、いわゆる「東池袋自動車暴走死傷事故」。
 もうひとつは、つい先ごろ一審判決の出た、これもいわゆる「元農水事務次官長男殺害事件」です。
 ふたつとも“功成り名遂げた人生”の、最後に大きな汚点をつけた取り返しのつかない事故・事件でした。

 前者についていえば事故後のインタビューで加害者男性は、
「体力に自信はあったが、おごりもあった。安全な車を開発するようにお願いしたい」
などと語ってバッシングを受けましたが、そもそも自分のことを棚に上げてしゃべる傲慢な人だったのか、加齢による判断能力の衰えから場にそぐわない発言をするようになったのか――昔の様子を知らない私には分からないことです。

 事故以来、全国で高齢者による運転免許返納が相次いだと言いますが、一方、同じ時期に起こった高速道路の逆走事故では、運転者が免許を返納したこと自体を忘れてしまっていて、この問題の一筋縄ではいかない難しさを世間に知らせました。

 私は後期高齢者ではないのでまだ少し余裕はありますが、将来、こんな片田舎で車のない生活を送ることを考えると、かなり憂鬱です。歩いて行ける範囲にスーパーマーケットもショッピングセンターもありません。友だちに会いに行くこともできない。
 そんな環境で、しかもまだ判断力や運動神経にある程度の自信がある場合、それでも後期高齢者だからといって免許を手放せるのか、手放したとしてあとをどうするのか――今から徐々に考えていかなくてはならないと思っています。

 

【自分が殺されて子が殺人犯になるか、子を殺して自分が殺人者となるのか】

 元農水省事務次官による長男殺害事件はさらに深刻な問題を私たちに突きつけます。
 裁判では弁護士の勧めもあったのでしょう、長男に殺されかかった被告がとっさに包丁を手にした突発的な事件とされましたが、私は覚悟があっての計画的殺人だと思っています。

 被告は逮捕直後、川崎市で起こった登校中の児童等殺傷事件に触れて、
「長男が近所の小学校の運動会の音を聞いて『ぶっ殺す』と言ったのを聞き、長男が危害を加えてはいけないと思った」
と語っていました。それが事実なら、十分な殺害動機と言えるはずです。少なくとも私にとってはそうです。

 息子が大量殺人の加害者となって自殺または逮捕されるか、自分が殺されて息子が殺人犯となるか、息子を殺して自分が殺人犯となるか――選択肢が三つしかないとしたら私も間違いなく三番目を選びます。自分の子の不始末は自分で責任を取らなくてはなりません。

 裁判は選択肢が三つしかなかったわけではなく、専門家に相談するなどいくつもあったことを指摘して被告に実刑を課しました。妥当な判決と言えます。
 しかし“あの時点ではそんなこと思いもつかなかった”という想いも、被告にはあったのではないでしょうか。
 専門家を探しているうちに誰かが殺されてしまう――そこまで切羽詰まった状況だったように思うのです。

 

【大人の相談はどこに持って行けばいいのか】

 二つの事件は、高齢ドライバーを抱える家族、大人の引きこもりを持つ家族、家庭内暴力の子を持つ家族、“発達障害の診断を受けた”とさかんに報道されましたから発達障害の子を持つ家族――そういった家族を恐怖のどん底に叩き込みました。それでいてマスコミは「一刻も早く専門家に相談するように」くらいの助言しかしません。

 対象が子どもの場合はまだましです。学校もあれば児童相談所もあり、警察の生活安全課や少年育成課など、相談するところはいくらでもあります。しかし大人相手となると、パッと思いつくのは精神科くらいなものです。

 どこに相談に行けばいのか、行けば確実に対応してくれるのか、そういった情報があまりにも少ない。やはり私自身がきちんと調べて、いつでも対応できるようになったり、場合によっては「どこに相談に行けばいいのか」などに答えられるようにしておかなくてはならないのでしょうね。