「王様の耳はロバの耳、かもしれない」2〜女性の気持ちは分かる

ジャン=レオン・ジェローム「地獄におけるダンテとヴァージル」(パブリックドメイン世界の名画)  同じ話題を扱った前々回の記事で私は、  前々から思っていたのですが、首相や大臣を取り囲んで行ういわゆる「ぶら下がり取材」、その際、最前列でICレコーダやマイクを差し出す女性記者たち、有意に美人ばかりではありませんか?    と書きました。それが納得できない、と。今でもそう思っています。メディアの一部は、若い美人の記者を政治家や官僚に張り付かせ、有利に情報を取ろうとしているのではないかと疑っているのです。  中には女性の記者が行くと「人の少ないところで疑われると困るので」と、わざわざ繁華街の喫茶店を指定するような堅物もいると思いますが、そういう人には男性記者をつけた方がお互い安心できる。しかし福田次官のようにスケベ心が透けて見えるような対象者には若い美人を貼り付けておく、そのくらいのことはテレビ局も考えそうです。 バンキシャたち――ネタを取るまで引き下がれない】真相報道 バンキシャ!」は日テレの看板ニュース番組です。全国どこで起こった事件であっても、日本テレビの記者(ディレクター)が直接赴いて取材することをウリにしています。  ウチの記者はお仕着せの共同記者会見を待って記事にするような柔な存在ではない。自ら事件に貼りついき、人に貼りついて特ダネを取ってくる「番記者」そのものだ!  このタイトルから伺えるのは、肉弾戦のような取材を尊ぶ日テレ報道局の伝統です。  今回事件の中心となった女性記者も肉弾となって相手の懐に飛び込んでいった、あるいは飛び込んで行かされた一人です。彼女の背後ではこんな進軍ラッパが鳴り響いていました。 「何が何でも張り付け! 法律と公序良俗に反しない範囲で何でもやれ! 金が必要なら経理に行け、コンサートチケットで落とせるものならイベント事業部に相談しろ、スポーツ観戦ならスポーツ局に行け、使えるものなら何でも使え! 必要なら女も使え! 特ダネを取るまで帰ってくるな!」  もちろんそのおかげで特ダネを取ることができて新聞協会賞でももらえば、今回の事件はなかったのかもしれません。しかし音声データでも分かるように、福田次官は呼び出してセクハラ発言を繰り返しながら、のらりくらりと話をかわして何の情報らしい情報も出してこないのです。  夜中に呼び出され、家族と過ごすべき貴重な時間を犠牲にし、神経を張り詰めてセクハラ発言や行為をかわしながら、無為に過ごした一年半――。  私は昨日、 必要なら誘われた酒場に行かないという選択肢もあったのではないか と言い、 会社に部署変更を願うことだってできたはずです。 とも書きましたが、この女性記者の一年半を思うと、そうしたことができなかった理由も分かるような気がしてきます。 【彼女は頑張った――認識のすれ違い】  ひとつには、今日までつぎ込んできたすべてのものに対する激しい郷愁です。ダメなギャンブラーがそうであるように、「いつか元を取る」「いつか元を取る」とつぶやきながら、やめるきっかけが掴めないで来たのです。  その間に失ったものの大きさを考えると、次官との付き合いがどんなに苦しくても、今はやめることができない、何とか続けていくしかない――そう考えたのでしょう。  あるいは、数多くの先輩たち――特に女性の先輩にできたことが、自分位はできないと認めたくない、思われたくない、降りるわけにはいかない、そう感じていたのかもしれません。  私は、初任として初めて担任したクラスが大荒れに荒れ、毎日が地獄のようになっても自らが担任を降りることは考えませんでした。一瞬たりとも思わなかったのです。  他の教師にできることが自分にはできないと認めたくないのです。もうしばらく頑張ればなんとかなると思い込んでいます、思い込もうとしています。今ここで降りてしまったら今日までの努力が水の泡になる、何のために血の汗を流してきたのか分からない、と恐れているのです。  つぎ込んだ資源が多ければ多いほどやめることができない、耐えてきたことが厳しければ厳しいほど引き下がることはできない――その気持ちは十二分に汲み取れます。  渦中の女性記者もきっとそうだったに違いありません。  一方、福田次官からすれば、押し倒したとか胸に触ったとかいったことはない、すべては軽口の範囲で、半分も本気ではなかった。女性記者は口では「ダメです」「やめてください」とは言っていたが、本気で怒っているようには見えなかったし、そしてなにより、呼び出せば必ず出てきた。そうである以上、自分のやった程度のことは許容範囲にあったはずだ――そんなふうに考えていたのでしょう。 「いやだったら『いやだ』とはっきり言えばいいじゃないか」は、いじめっ子の常套句です。しかし大人の社会は複雑で、「いやだ」とはっきり言えない事情はたくさんあります。ですからすべては福田次官の認識の甘さのせいなのですが、次官ひとりが悪いと言って済ませることは問題を歪曲化することになります。 【不信感】  人間関係の中で起きた事件ですから、100対0で片方だけが悪いなどということはあり得ません。「盗人にも三分の理」というように、最低でも3%程度の理由はあるはずです。  今回のセクハラ事件について福田次官が全面否定し、麻生大臣が「はめられて訴えられているんじゃないか」と失言し、下村元文科大臣が「ある意味犯罪」などと言い出す背景には、政府与党の“被害者”に対する不信感があるのです。  私も、例えば女性記者が上司に「セクハラの事実を報じるべきではないか」と相談したのか解せません。  セクハラ被害を受けて耐え難いがどうしたらよいのかと相談したなら分かります。  その場合は日テレの高い部分から麻生大臣に相談して処罰してもらうか、もっと低いレベルで直接福田次官に話をして、「セクハラを辞めなければ公表する」と脅せばいいだけのことです。メディアには第四の権力と言われるだけの力があります。  ただし直接交渉によってセクハラを止めることはできても、報道することはできない。  報道した場合、内容の信ぴょう性を最終的に保証するものは音声データしかなく、しかもそれは隠し取られたものだからです。音声データを公にするということは、「日テレの記者の前で何か話せば、それはオフレコでも公表される」と、世界に向けて発信するのと同じです。そんなことはできるはずはない。  女性の上司は  放送すると本人が特定され、二次被害が心配されることなどを理由に「報道は難しい」と伝えた と言いますが、こんなおためごかしの説得ではなく、きちんと状況を説明すべきだったのです。  しかし、  女性社員は、財務次官という社会的に責任の重い立場にある人物による不適切な行為が表に出なければ、今後もセクハラ被害が黙認され続けてしまうのではないかという強い思いから、週刊新潮に連絡して取材を受け、録音の一部も提供した のです。 (この部分の引用はすべて2018.04.19毎日新聞 より)  女性記者の目論見はおそらく成功します。しかしそれが彼女の望むような成功とは限りません。                              (この稿、続く)