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「腹をくくった家の子だけが、きちんと育ててもらえる時代」~私たちは子どもに罠をしかけていないか⑤

 本当に気を遣ってやらなければならない子どもたちの陰で、
 鍛いて錬って育てられるべき子どもたちが放置される。
 もはや学校が子どもを一定水準に引き上げる時代は終わった。
 腹をくくって家庭で育てた子どもだけが、きちんと育つ時代だ、
という話。(写真:フォトAC)

【今週は話題のアタリ週】

 不思議なことに、話のネタというのはない時はまったくないのに、ある時はいくらでもあって扱いかねているうちに旬を失い、結局は見捨てるしかなくなることもしばしばです。
 今週はその「アタリ」の週で、ティックトックで探し当てた「寝坊した社員と上司の会話」を始め「岐阜県で高校入試の内申書から出欠席の欄がなくなった話」や「大阪府立高校の一般選抜入試が2月下旬に前倒しになった件」など、全部で5ネタもあって、何かもったいないことになるのかなと思っていたら別ブログで扱ったものも含め、五つ全部を取り上げることができました。今日は最後のネタ「『学校には行きたくなくなった』当事者らと作った曲、共感相次ぐ」(2024.06.25 毎日新聞)から始めます。

 内容は、広島県在住のシンガー・ソングライターのTOKIさんが歌う自作の曲が共感を呼び、全国各地の不登校の親子らの集まりに呼ばれるようになって歌と講演の会を続けている、というものです。
 歌詞全体はlinkco.reで見ることができますし、曲はmusic.youtube.comで聞くことができます。

【「学校には行きたくなくなった」という曲】

 TOKIさん自身はこの曲を、
学校生活に悩む子どもたちの声を代弁した
ものだと説明し、
「学校に行かなくていい」という学校否定ではない(中略)「あなたの隣にいる子が明日、学校に来なくなるかもしれない。行きたくない気持ちがある子の存在を認め、寄り添ってほしい」
と話しているそうですから立場は少し違うのかもしれません。しかし「共感相次ぐ」ですから不登校の子や親たちの気持ちの、的は射ているのでしょう。私にも理解できます。
 そのどこが良かったのか――。

 毎日新聞の記者は歌詞の中から、いくつかの行を拾っています。
「文字を読むのが嫌いなんじゃない 空気読めって空気が嫌いなんだ」
「仲間が出来ないんじゃない 仲間外れを作る風習が嫌いなんだ」
「ここ以外の選択肢は無いんだと 断言されると胸が詰まるんだ」
「俺はただ俺を生きていたい」
「学校には行きたくなくなった」
 情緒豊かで、学校に行きずらい子たちの心情を、みごとに描いていると思います。しかし私には素直になれない感じがあります。その理由は私がずっと大切にして来た次の言葉と並べてみるとわかります。
「他人を変えることはできない。変えられるのは自分だけだ」

【本当に気を遣ってやらなくてはならない難しい子たち】

 空気を読めという空気が嫌い、仲間外れをつくる風習が嫌い、他に選択肢はないのだという押し付けが嫌い、と周辺の人々にレッテルを張って蹴散らし、その上で「俺はただ俺を生きていたい」という妥協のなさ、激しさ、頑固さは、確かにある種の子どもたちに共通のものです。
 彼らは周囲に合わせることも流されることも潔しとしません。昔はしようと思った時期もあるのですが、結局できなかった過去を持つ子も少なくないのです。

「きっとあの子には楽しい場所なのさ うまくやれる奴だけがやればいい」
という冷笑主義シニシズム)は、そんな経験から生まれたものかもしれません。しかしそうなると「成長しろ」「もっと努力して何者かになれ」といった自己改革・自己超克の牙城《=学校》ではうまくやって行くことがとても難しくなります。向かう方向が違い過ぎるからです。

【変わるべきは誰だったのか】

 だから理解の進んでいなかった昭和の時代は、彼らにとても苛酷でした。
 私なども夜討ち朝駆けで家庭訪問をし、友だちを送り込み、病院にも相談をかけ、何とか学校に戻れるようにとあらゆることをしました。教師というのは勉強なんてする気のない子どもたちの前にハードルを置いて、「さあ、ここで跳びなさい、成長しなさい」と促すことが仕事ですから、不登校に対しても同じ態度を取るのです。
不登校の何ほどのことか、これを乗り越えたらこの子はひと皮もふた皮も剥けた大人になれる》などと本気で考え、叱咤激励し、それで来られるようになると安心して、さすがに口にこそしませんでしたが、心の中では自分の手柄のように思っていたのです。これでこの子はもとに戻れる、一歩大人になって、普通に生きていける――と。
 
 ところが昭和の終わりごろから平成の20年あたりかけて、状況は大きく変わりました。学校に来られない原因は本人にあるのではなく、学校の厳しい受験体制と管理教育によるものだとされ、受験制度や学校のあり方が大いに変更されようとしてきたのです。
 呼び捨てだった児童生徒の名前は「くん」「さん」になり、やがて男女差解消から「さん」に統一されます。もちろん体罰はさらに厳しく監視され、指導の場での強い物言いにも制限がかかるようになりました。
 夏休みなどの宿題も、一律必修だったのが、やれる人だけがやればいい努力課題みたいなものになってしまいましたし、学校の清掃も二日に一度、運動会も半日日課、遠足はより近いところへと変化していきます。しかしそれでも今もなお、学校は子どもたちにとってブラックな場所とされ、見直しは常に求められています。
 今や教師が子どもたちの前に置いたハードルは跳んでも跳ばなくてもよいもので、跳ぶことを強制されない、子どもたちが「そのままのキミでいいよ」と耳打ちされる、そういった時代へと変化してきたのです。「そのままのキミでいいよ」は《親や家族から愛されるために無理することはない》という意味で、世の中に出るため、人々とうまくやって行くためには「そのまま」ではいけなかったのですが、そこまで吟味して言葉を使い分ける人は多くありませんでした。

【社会はまだ、そのようにはなっていない】

 もちろん「子どもたちに来ていただける学校づくり」は日本の伝統で、今後も推進されていきます。不登校30万人も、こうした施策がなければ50万人だったかもしれませんからそれはいい。問題なのはそうした支えがなくても平気で学校に来られていた子どもたちまでもが、ハードルを跳ばずに大人になってしまった可能性のあることです。
 
 「学校に行きたくなくなった」の歌詞はまだ不十分だといいますし、子どもどうしの関係には相変わらず難しいものがありますが、私たちは学校を「子どもたちが無理をせずにいられる場所」にすることに、かなり成功したと言えます。昔に比べたら相当にヤワな環境になっています。
 ところが社会全体は、まだそのように変革するには至っていません。昭和時代に比べるとずっと気を遣ってくれるようにはなっていますが、大人社会は1時間も2時間も遅刻してきた若者を、黙って受け入れるまでにはなっていないのです。
 
 今週、取り上げてきた「寝坊した部下と上司の電話のやり取り」で、偉そうに逆ギレした部下も、本気で自分が正しいと思っているわけではありません。経験が圧倒的に不足していますから、朝寝坊という大失態をどう扱ったらいいのか分からず、プチ・パニックに陥っているのです。そこを(“意図して”か“期せずして”か分からないのですが)上司が「ごめんね、ごめんね」と本気ともからかっているともつかない言い方で詰め寄るので、さらに混乱は高まってあんな言い方になるのです。
 鋼のように熱いうちに打たれてこなかった神経は、追い詰められると吠えるしかなくなるのです。

【腹をくくった家の子だけが、きちんと育ててもらえる時代】

 しかし歴史は動いてしまいました。もはや学校が子どもを鍛えて一定水準に引き上げる時代は終わったのです。
 教師たちは表では子どもたちに「今のままのキミでいいよ」と言って受け入れ、家では自分たちの子どものために別の教育をするようになっています。理想の教育は自宅でしかできないからです。
  
 私は元教員で年じゅう教育問題を考えているような人間です。妻は講師として今も現場にいます。娘のシーナも元教師、婿は正真正銘の現職教師。したがって二人の孫は昭和的・学校教育的信念に基づいて育てられています。私たちは似ているのです。
 息子のアキュラ夫婦にはまだ子供がいませんしふたりとも教員ではありませんが、妻サーヤの実父が現職の中学校教師、実母は幼稚園の講師ですから、ここも古い教育の体質が滲み込んでいます。
 社会に対しての重大な裏切りのような気もしますが、期せずして手に入った我が家の有利さを捨ててまで、周囲に合わせる必要もないでしょう。信念に従えば、我が家が有利という、ただそれだけのことです。
 私が必死で抵抗しても押し返せなかった流れのおかげで、私の家族が有利になる――皮肉なことです。
(この稿、終了)