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「親子鷹」~アスリートの家族に見る親子関係

 レスリングの浜口京子という選手が好きです。あんな父親(派手で見栄えが悪くて、ひょうきんで融通が利かなそうな)の派手なパフォーマンスの横で、ニコニコ笑っていられるようなお嬢さんに悪い子はいないという気がしています。

 さて、今回のオリンピックを見て思ったことのひとつは、親子鷹といっていいようなアスリート親子が山ほどいたことです。
 体操の内村航平や田中兄弟姉妹、卓球の福原愛石川佳純、約束通り父親を肩車した吉田沙保里、陸上の室伏広治、サッカーの澤穂希、ウェイトリフティングの三宅宏実、これらのメダリストの背後には常に保護者の影が見え隠れしています。

 多くの家庭に練習場があり、多くの場合その保護者が初期のコーチでした。そしてほとんどの場合、親が金銭的にも時間的にもそしてエネルギーの上でも、すべてを子どもに投げ込んで悔いのない人たちでした。

 もちろんマスメディアを通して私が見た親たちの姿はごく一部ですが、日本のアマチュアスポーツの現状を見ると、ある程度の成績を収めるまでは保護者の全面的なバックアップがないとアスリートたちは生まれてきません。そしてほとんどの場合そこには「子どもの人生は子どものもの。親の価値観を押し付けてはいけない」とか「子どもの将来を親が決めてはいけない」といった曖昧さはありません。「私はこの子をオリンピック選手にしたいのだ」「この子には金メダルを取らせるのだ」という横暴なまでの信念があります。

 古い本ですが「子育てのゆくえ〜子育てをしないアメリカが予見する日本の未来」(エイデル研究所 1993)の中で、著者の松居和はいわゆる“お受験”に関しても「親と子が同じ目標に向かって精魂を傾け、合格の暁には手を取り合って喜ぶ、こんな素晴らしい親子の姿はない」といったようなことを言っています。

 もちろんスポーツや勉強に向いていない子を駆り立てても気の毒ですが、ある程度の限界が見えるまで、親は自分の願いや期待をかぶせ、子の将来に目標を立ててともに進んで行っていいのではないかと私は思っています。
「本人の意思を尊重し、本人が目標を見つけて本人が“その気”になる」のを待っていたら埒が明かないことは結構ありますし、そんなことをしていたら大切な子どもの時間を無為に過ごしてしまう危険性はいくらでもあります。

 しかしそれでもなお子どもの将来を規定することに抵抗のある親御さんには、こんなふうに言ってあげることにしています。

「大丈夫。普通、子どもは絶対に親の思う通りに育たない」