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「人格を叱るのではなく行動を叱るということの意味」~大阪超進学校におけるカンニング・自殺事件の教訓①

 大阪の超進学校で起こったカンニング・自殺事件。
 いったい何が起こり、何が悪かったのだろうか?
 ほんとうに指導に問題があったのか、
 別に正しいやり方があったのかどうか、
 という話。
(写真:フォトAC)

【超進学校におけるカンニング・自殺事件の顛末】

 先月末、ニュースに進学校で知られる私立清風高校(大阪市天王寺区)の男子生徒(当時17歳)が試験でのカンニング後に自殺したのは、教師らの不適切な指導が原因だとして、両親が近く、学校側に計約1億円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こす」2024.03.22 毎日新聞
という記事がありました。それ以来、SNSやニュース記事の書き込み欄には「カンニングする方が悪い」「卑怯者というのは当然」いった内容もあったのですが、今月に入って提訴を終えた遺族が、代理人弁護士を通じてそれに応える声明を発したようです。少し前のニュースですが4月13日のytv、「カンニングが悪いのは当然だが、それが理由で自死に至るのか」男子生徒の遺族が提訴に踏み切った理由という記事です。

 それによると自殺した生徒が受けた指導というのは、

  1. 多数の男性教師らに囲まれて叱責されたり反省文を書かされたりした。
  2. 母親が学校に呼び出された後も、学園長室で5人の男性教師に囲まれて、「カンニングは卑怯者がやることだ」などと叱責された。
  3.  男子生徒と母親は泣きながら教師らに謝罪した。
  4.  叱責や指導は約4時間に渡った。
  5.  全科目が0点となった。
  6.  自宅謹慎を申し付けられ、
  7.  毎日反省日誌を書くことを課され、
  8. 1巻1時間程度を要する「写経」を80巻分行うという課題が与えられた。

 その二日後、生徒は、
「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」
と記して自殺したといいます。

【親を裏切ったことは辛い】

 箇条書きにした8項目の初めの部分はまるでヤクザの事務所に連れ込まれたような雰囲気で、何となく学校らしくないとも思いますし、叱責や指導は4時間に渡ったというのも、実際は母親がくるのを待ったり指導内容の進め方を説明したりといった部分が長く、4時間に渡って怒鳴っていたわけでもないでしょう。しかし全体としてはだいたい説明のようなものだったように思われます。いかに進学校におけるカンニング指導とはいえ、なかなか苛酷なものです。

 特に3番目の「男子生徒と母親は泣きながら教師らに謝罪した」と、母親の泣く姿を見せられたのはつらかったろうな、と思います。偏差値61-71という大阪でも屈指の進学校の生徒ですから、小さなころから親を喜ばせることはあっても泣かせることなどなかった子です。その母親が息子の犯罪のために横で頭を下げて泣いている、全科目0点で進む大学もなくなったのかもしれない、親の期待を台無しにした――と、さぞかし切なかったことでしょう。

 小中学校では万引きをした児童生徒を親とともに店舗に行かせ、親が自分のために深々と頭を下げる様子を目に焼き付けさせることで再発を防ごうとしたりしますが、高校生にはむしろきつすぎる面もあったのでしょう。
 全教科0点も、反省日誌毎日も、写経80巻もつらいことでしょうが、罪滅ぼしと思えばある意味で気が楽です。犯罪者が懲役を済ませてくるようなもので、それが終わりさえすれば罪は贖われたことになります。
 しかし進学校カンニング犯というのは、真面目に考えれば「全校生徒を裏切った卑怯者」、裏切りの対象が大人ではなく仲間だというところに、大きな悔恨があったことでしょう。そして何よりも、親を裏切ったことが耐えがたかった――。
 本人は「周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなって」と記していますが、自己理解が必ずしも正解だとは限りませせん。

【人格否定ではなく行動を叱る】

 この事件については遺族の同じコメント発表を基礎とした「カンニングは卑怯者がすることだ」という叱り方はNG…子供の過ちを叱るときに使ってはいけないフレーズ(2023.04.12 PRESIDENT Online)という記事もあって、やはり考えさせられます。
子供が過ちを犯したときには、どう応じればいいのか。中学受験専門塾・伸学会代表の菊池洋匡さんは「子供を叱るときは行動に焦点を当ててほしい。たとえば『カンニングは卑怯者がすることだ』という叱り方は、人格否定になるのでよくない」という――。

 菊池氏によれば、
人格を否定する叱り方をすると、子どもの自己肯定感が低下するおそれがあります。その結果、「どうせ自分は卑怯者なんだ」というセルフイメージを持つようになり、そのセルフイメージに沿って「卑怯者にふさわしい行動」を選択するようになっていきます。つまり、問題行動をかえって増やすことに繋がってしまう 
(中略)
では、どういう叱り方をすれば良いのでしょうか?
それは、人格ではなく、行動に焦点を当てた言い方にすれば良いのです。
カンニングをするやつは卑怯者だ」は人格に焦点を当てた言い方です。それに対して、「カンニングは卑怯な行いだ」は行動に焦点を当てた言い方です。この2つは似て非なるもので、言われた側の受け取り方は大きく変わります。
――分かるような、分からないような話ですが、これは清風高校のカンニング事件の延長で書いたので面倒くさい話になっただけで、小学生のカンニングならすぐ分かるのです。

【“叱る”は、厳しく強い調子で教えること】

 カンニングは単なる「ずるい」行為ではなく、友だち教師を裏切る重大な犯罪です。しかしそうした認識のない子どもに「カンニングをするやつは卑怯者だ」「カンニングする人間は汚い」と言えば、その子からすると「おまえは卑怯者だ」「おまえは汚い」と言われているのと同じですから、とても素直になれるものではありません。
 そうした子には強く指導し、ものすごく悪いことだと教えてあげる必要があります。怖い顔をして、強い調子で「カンニングはとんでもなく悪いことだ」「カンニングは卑怯な行為だ」と教えてあげるのです。そのやり方を私たちは“叱る”と呼んでいます。嘘をつく子や、危険な行為を繰り返す子どもにも、それが悪いことだと十分に分かっていない場合には、同じことをしなくてはいけません。
 しかし清風高校の自殺した生徒の場合は、どうだったのでしょう。その子はカンニングが卑怯な行為だと分かっていなかったのでしょうか?
(この稿、続く)