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「『平成』の誕生日」~年号が変わることは時代の変わること

 今日、1月8日は「平成」の誕生日に当たります。
 1989年1月7日、昭和天皇崩御を受けその日のうちに「元号に関する懇談会」が開かれて、午後、当時の内閣官房長官小渕恵三さんが「新しい年号は『平成』です」と発表しました。漢字があまりに平易で音に重みがなく(と当時は感じました)、何となく気が抜けた思いでした。その違和感は夜のニュースで若いアナウンサーが、「新しい時代の幕開けをみんなで祝いましょう」と言ったその強烈な違和感とともに、今でもよく覚えています(おい!天皇崩御の日だぞ!“祝う”でいいのか?)。
 昭和の最後の年はわずか7日間でした。不思議なことに昭和の最初の年(元年)も7日間でしたから、昭和は64年間と言っても正確には62年と14日ということになります。

“昭和”にはこだわりがあり(というのは、大学での専攻が昭和史だったので)、人生の転換は何が何でも昭和のうちでなければならないと思い込んでその前年、結婚を急ぎました。平成元年の前年の結婚ですから平成の年数と結婚年数が同じになります。だた後で調べたら“天中殺”という大厄年で、新しいことは何も始めてはならない、というのに結婚してしまったらしいのです(もっとも天中殺では、私は毎年4月に「新しいことを始めてはいけない」ことになっていますから、気にしていたらこの国では生きていけません)。

 1989年(平成元年)は、別の意味で特別の年でした。というのはその数年前から「89年には何か民主主義に関するとんでもないことが起こる」と生徒の前で予言していたからです。
 根拠は他愛ないもので、1689年「権利の章典」、1789年「フランス革命(人権宣言)」、1889年「大日本帝国憲法発布」と、西暦の下二ケタが89の年に、民主主義に関する大きな事件が続いていたからです(「大日本帝国憲法」は世界規模ではありませんが)。そこで生徒たちには「何か重大なことが起こる」とけっこう真面目に言って、三つの歴史的事件(権利の章典など)の年号を覚えてもらうように仕向けていたのです。

 その1989年が来て意外にも天皇崩御という大事件があり、しかし“民主主義に関わる”というのとはちょっとニュアンスが違うかなと思っていたら11月の10日、歴史的・世界的大事件が起こります。突然ベルリンの壁の警備が解かれ、人の行き来が自由になってしまう、いわゆる「ベルリンの壁の崩壊」です。そしてあっという間にソビエト連邦が崩壊し、冷戦時代が終わって世界はまったく異なったものになってしまったのです。
「89年予言」は本当に当たっていたのです。

 1989年(平成元年)を境に大きく変わったという点では日本も同じでした。平成の声を聞いたとたんにバブル経済は崩壊し、平成不況(失われた10年・20年)が続きます。「昭和」の名がついている間は絶対に語られることのなかった自衛隊の海外派遣が可能になり、憲法改正も実現可能なこととして人々の口に上るようになりました。
 年号が変わるというのは時代が変わることだったのです。