昨日のユネスコ政府間委員会で、秋田のナマハゲを含む日本の来訪神の無形文化遺産登録が決定されました。中には後継者がなくて存続の危ぶまれるものもあるようなので、まずは注目されたことを喜び合いたいと思います。
外務省に「来方針:仮面・仮装の神々」の提案概要 というまとまった資料がありましたのでリンクをつけておきます。
対象となった全国10箇所の来訪神を見ると「宮古島のパーントゥ」などメチャクチャ怖い感じでゾクゾクしますし、「薩摩硫黄島のメンドン」とか「悪石島のボゼ」とかも「これが日本か?」と思わせる異形ぶり。「米川の水かぶり」や「見島のカセドリ」も、またそれとは違った怪しさで心踊らされます。
ざっと眺めるとパーントゥのように泥をつけたり水を浴びせたり、あるいは棒でつついたり叩いたりして福を置いていく神が半分、残り半分が怒鳴ったり脅したりして「良い子」「良い嫁」を強要する神といったところでしょうか、前者も魅力的ですが、後者は昔からずっと憧れてきたものですからユネスコの無形文化財決定は私にとっても朗報でした。
このブログでも再三とりあげてきましたが、ナマハゲやアマメハギ(アマハゲ、スネカ、アマノハギ)などは、子どもの成長にぜひとも必要だと思うのです。
【心に神様がいなければいけない、その前に鬼が】
人は道徳的な何ものもたずに生まれてきます。これを「無垢」と言います。無垢ですから「善」にも「悪」にも簡単に染まってしまいます。しかも困ったことに子どもたちが育って行く世界は、ほとんどの場合、短期的には悪いものの方が魅力的に見えるのです。
そこで「躾」が必要になるのですが、「悪」の魅力から子どもを引き離すのは容易ではありません。私たちはあらゆる手練手管、美辞麗句、悪口雑言を総動員して正しい道を歩ませようとしますがなかなかうまくいきません。
もちろん大人になったら言われなくても正しい判断をし、正しい行動をとれるようにならなくてはなりません。つまり心に「神」を住まわすのです。
私たちが頭で考えなくても、心の中の「神」が正しい道を歩ませるようにしなくてはならない――。
実はたいていの大人はそうしています。
私たちがスーパーで万引きをしないのも、横断歩道で渡りかねているお年寄りを助けるのも、別に逮捕されるのがイヤだから、誰かに褒められたいから、ではありません。心の中の「神」がフッと息を吹きかけて教えてくれるからです。
しかし心に「神」が心に住み着くまでには相当な時間がかかり、半面、人間の欲望の成長は瞬く間です。「神」が住み着く前に、とりあえず心に「鬼」を送り込んでおかなくてはならないのはそのためです。
それがナマハゲやアマメハギ、それから節分の鬼なのです。 だから私は秋田県の男鹿(ナマハゲ)や石川県の能登・輪島(アマメハギ)がほんとうに羨ましい。放っておいても地域が子どもの心に「鬼」を刻んでいってくれるのですから。
もしかしたら全国学力テストの小学校の部で秋田・石川が上位を独占しているのは、ナマハゲやアマメハギのおかげかもしれません。小さなころからきちんと生きる子は、成績も上がるに違いないからです。
「勉強しね子はいねがー!」
【ウチのナマハゲ、ドイツのナマハゲ】
さて、再三申し上げていますが、そんな言い方で鬼やナマハゲを評価すると必ず出てくるのが、
「子どもを怖がらせなくても躾はできます。まだ言葉の話せる前から、子どもはきちんと親の言葉を理解します。ですから親が丁寧に、何が正しくて何が間違っているか教えてあげれば必ずできるようになります」
という反論です。
もちろんそうした事例があるのは知っています。しかしそうしたやり方で成功しているお父さんやお母さん、「丁寧に教えてあげている」その瞬間のご自分の姿を、ご存知ですか? いつもはニコニコと明るく優しい父さんお母さんが、真剣な顔で静かに、ゆっくりと語り聞かせる・・・その姿はナマハゲより怖ろしいに決まっています。
大好きな人に嫌われるかもしれないという恐怖は、尋常なものではないからです。 外に鬼やナマハゲを拒否するなら、ウチに鬼をつくらなくてはなりません。
子どもたちを怯えさせて善導する来訪神というのは、日本独自のものではありません。有名なところではドイツのブラックサンタ(クネヒト・ループレヒト)がナマハゲたちとそっくりなことをしています。
どこも変わりないのですね。